わたしはあなたがたに、一つの心と一つの新しい霊を与える。石の心を取り除き、代わりに神を愛する柔らかい心を与える。
ユダでは、王と高官たちに命じられたように、主の示すことに従いたいという強い願いが、全国民のうちに起こりました。主がそのような願いを起こさせたのです。
ああ神よ。 どうか、きよい思いと正しい願いで満たされた、 新しいきれいな心にしてください。
わたしは、あなたが どんなに強情で頑固かを知っている。 首はまるで鉄の棒のように曲がらず、 頭は石のように硬い。
わたしに対して正しく応答する心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは大喜びで、わたしのもとに帰って来るからだ。
新しい契約とはこうだ。わたしは、わたしのおきてを彼らの心に刻みつける。そのため彼らは、わたしをあがめたいという気持ちになる。こうして、彼らは文字どおりわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
悪の道をあとにして、新しい心と新しい霊を受けよ。ああ、イスラエルよ。なぜ死に急ぐのか。
わたしの霊を注ぎ入れると、あなたがたは生き返り、懐かしい祖国に帰ることができる。その時、あなたがたはわたしが約束を果たしたことを知る。」
その時、戻って来るわたしの民の語ることばを 純粋なヘブル語に変え、 全員が共に主を礼拝できるようにする。
心を火打ち石のように堅くして、全能の主である神が命じたことば、主の霊によって先の預言者たちを通して示された教えを聞くことを怖がった。だから、あれほど激しい神の怒りが下ったのだ。
罪深い人間でさえ、子どもには良い物を与えたいと思うのが人情です。そうだとしたら天の父が、求める者に聖霊を下さらないわけはありません。」
しかし、父がわたしの代わりに助け手(聖霊)を送ってくださる時には、その方があなたがたにすべてのことを教え、わたしが話しておいたことを、みな思い出させてくださるのです。
さて、イエスを信じた人たちは、心と思いを一つにし、だれ一人財産を惜しむ者がなく、すべてのものを平等に分け合っていました。
神はもちろん、最初から選んだご自分の民を見捨てたわけではありません。聖書には何と書いてあるでしょうか。預言者エリヤはユダヤ人を告発し、彼らが他の預言者たちを殺し、神の祭壇をこわしたことを神に訴えています(Ⅰ列王19章)。「今なおあなたを愛する者は、この国中で私一人です。その私も、殺されそうなのです」と。
しかし、愛する皆さん、私は主イエス・キリストの御名によってお願いします。仲間同士の争いはやめなさい。教会の中で仲間割れなどしないよう、真の一致を保ってください。同じ考え、同じ目的で結ばれて、一つ心になってほしいのです。
あなたがたそのものが、私たちが書いた「キリストからの手紙」であり、それはペンとインクではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心に刻み込まれた手紙です。
だれでもクリスチャンになると、内側が全く新しくされます。もはや今までと同じ人間ではありません。新しい人生が始まったのです。
割礼を受けているかいないかは、今は、全く問題ではありません。大切なのは、私たちがほんとうに別の新しい人に造り変えられているかどうか、ということです。
あなたがたの態度や考えを一新しなければなりません。
あなたも、子どもたちも、孫たちもみな、心をきよめられ、心から主を愛するようになり、イスラエルは生き返るのです。