こうしてこの行事は諸州に行き渡り、いつまでもこの出来事が、ユダヤ人の脳裏に鮮やかに刻まれることとなったのです。
国中のユダヤ人は、帰化した者も含め、毎年この二日間を、子々孫々に至るまで、祝日として守り抜こうと決心しました。
一方、王妃エステルは、プリムの祭りの制定についてモルデカイを支持するとの手紙を送りました。そのほかにも、百二十七州のユダヤ人を励ます善意に満ちた手紙を、モルデカイと王妃エステルの連名で出しました。ユダヤ人は進んで、この、国を挙げての断食と祈りの日を記念日とすることに決めました。
私は主をほめたたえます。 あなたがなしてくださった数々のすばらしいことを 私は決して忘れません。
それぞれの時代に生きる人々が、 その子どもたちに、神のすばらしさを 伝えていきますように。
この『種なしパンの祭り』を毎年行い、いつもその日を、わたしがあなたがたをエジプトから救い出した日として記念しなさい。子々孫々、この日を例祭としなければならない。
それから、ささげ物をしたヘルダイ、トビヤ、エダヤと、ヨシヤの栄誉のために、主の神殿にその冠を安置せよ。
『ヨルダン川を主の箱が渡った時、水がせき止められたことを忘れないための碑だよ』と話して聞かせることができる。この記念碑は、偉大な奇跡をイスラエル人が永久に忘れないためのものだ。」