アハシュエロスは、インドからエチオピヤにまで及ぶ広大なメド・ペルシヤ帝国の皇帝でしたが、その治世の第三年に、シュシャンの王宮で盛大な祝宴を催しました。皇帝は各地から、総督、随員、将校たちをみな招待しました。
のちに、アハシュエロス王が即位すると、彼らはユダとエルサレムの人々を非難する手紙を送りました。
アハシュエロス王は、本土だけでなく島々からも貢ぎ物を納めさせました。
各州に、このための役人を任命し、宮殿にふさわしい若くて美しい未婚の娘を選ばせるのです。後宮の監督官ヘガイには、化粧品などを取りそろえる役目を与えてください。
直ちに王の書記官が召集されました。それは第三の月の二十三日のことでした。彼らはモルデカイが口述するままに、インドからエチオピヤに及ぶ全百二十七州の、ユダヤ人をはじめ役人、総督、領主にあてた文書を作成したのです。この文書は、各民族の言語、方言にも翻訳されました。モルデカイはこの文書を、アハシュエロス王の名を記し、王の指輪で印を押して、王室専用の急使に託しました。彼らはめいめい、らくだ、らば、若いひとこぶらくだなどにまたがって、全国各地に飛んで行ったのです。
ナイル川の上流にある、 帆船が川面を行き交う国エチオピヤよ。
今、その私が、将来起こることをあなたに示そうとしている。さらに三人のペルシヤ人の王が治め、そのあと、この三人よりはるかに富んだ第四の者が王位を継ぐ。この王は、その富を政治的に利用し、ギリシヤに全面戦争をしかける。
ダリヨス王は国を百二十の州に分け、それぞれに知事を置きました。
時が過ぎて、今やアハシュエロスの子ダリヨス王の治世の第一年となりました。ダリヨスはメディヤ人でしたが、カルデヤ の王となったのです。