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相互参照
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イザヤ書 8:17

リビングバイブル

主は今姿を隠していますが、 私は主の助けを信じて、ひたすら待ち望みます。 主だけが私の希望です。

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39 相互参照  

主の救いは確実だ。

なぜ御顔をそむけて、私を敵の手に渡すのですか。

人は死んでも生き返るかもしれません。 私はそのことに望みをかけているのです。 ですから、苦しみながらも ひたすら死を待ち望むのです。

神は事の成り行きを見ていないと考えるのは、 いっそう大きな間違いだ。 神を待ち望みさえすれば、 正しいさばきをしてくださる。 神が怒ってすぐ罰しないからといって、 大声を上げて神にかみついてはいけない。

だからこそ私は、助けを信じ、 期待をこめて待っているのです。

いらだってはいけません。主を待ち望みなさい。 主は必ず来てくださり、あなたを救ってくださいます。 勇気を出しなさい。主を待ち望みなさい。 主はきっとあなたを救ってくださいます。

頼ることができるのは主おひとりです。 主が盾となって守ってくださいます。

主が立ち上がってくださる時を、 じっと忍耐して待ちなさい。 そして、神の道をしっかり歩んで行くのです。 やがて、神が祝福をあふれるばかりに注ぎ、 あなたの名声を高めてくださる時がきます。 しかも、あなたは悪者が滅ぼされるのを 目の当たりにするのです。

神よ。私はあなたにだけ望みをかけているのです。

私は、ただひたすら主の助けを待ち望みました。 すると、その願いは聞かれたのです。

これからは、手を天に差し伸べて祈っても無駄だ。 目を閉じ、耳をふさぐ。 どんなに祈っても、わたしは聞かない。 おまえたちの手は人殺しの手で、 罪のない犠牲者の血がこびりついているからだ。

その日、人々は、 「このお方こそ、私たちが信頼し、 長い間待ち続けた神だ。 とうとう、おいでになったのだ」と大声で叫びます。 なんと喜びにあふれた日でしょう。

主よ、私たちは、神がお喜びになることを 行いたいと思っています。 私たちの心からの願いは、 御名を高らかにたたえることです。

しかし主は、あなたがたを愛し、 いつの日か、みもとに帰って来るのを待っています。 約束どおり、あなたがたをむりやりつかまえてでも 祝福しようと待ちかまえています。 主は約束は必ず守るお方なので、 主の助けを待ち望む人は幸いです。

しかし主よ、私たちはあなたを待ち望んできましたから、 お心にかけてください。 毎日私たちの力となり、 苦難のときには救いとなってください。

イスラエルの神、救い主よ。 まことに、あなたは不思議なことを行います。

あなたがたのうち、主を恐れ、 主のしもべに聞き従う者はいるでしょうか。 そのような人が今、闇の中を歩み、 一筋の光もないというなら、主を信じ、 自分の神により頼みなさい。

しばらくの間、怒って顔をそむけたが、 今は永遠の愛をもって愛する」 と、あなたを救い出す主は約束します。

わたしは怒って、貪欲な者たちを打った。 ところが、彼らは性懲りもなく罪を犯し続け、 思いのままに悪の限りを尽くした。

問題はあなたがたの罪です。 罪があなたがたと神との断絶のもとなのです。 罪のために、神は顔をそむけ、 いっこうに聞こうとされません。

世界が始まって以来、私たちの神のように、 待ち望む者にすばらしいことをしてくれる方は、 ほかにありません。

私たちはみな罪の毒に冒され、汚れきっています。 これこそ正義だという最上の着物をまとっても、 悪臭を放つぼろきれにすぎません。 私たちは秋の木の葉のように色あせ、 しおれて落ちます。 あえなく罪の風に吹き飛ばされるばかりです。

それでもなお、誰ひとり神の名を呼び、 あわれみにすがろうとしません。 そこで神も、私たちから顔をそむけ、 罪に引き渡したのです。

バビロニヤ人は侵入して来る。この町の男たちは、すでに死んだも同然だ。わたしが、激しい怒りをもって殺そうと決めているからだ。彼らのひどい悪のために、わたしは彼らを見捨てた。たとえ助けを呼び求めても、あわれまない。

さあ、神に立ち返り、 愛と公正の原理に立ちなさい。 いつも、あなたの神に期待しなさい。

それでいて、困ったことになると、 主に助けてくれと願う。 願いを聞いてもらえると本気で思っているのか。 顔をそむけられるだろう。

それでも、私は主に助けを求め、 神が私を救い出すのを待ち望む。 神は私の言うことを聞いてくださる。

だが、わたしが計画しているこのことは、 今すぐには起こらない。 ゆっくりと、着実に、確かに、 幻が実現する時が近づいている。 遅いように思えても、失望してはならない。 これらのことは必ず起こる。 忍耐していなさい。 ただの一日も遅れることはない。

この時、そこにいたアンナも神に感謝をささげ、救い主の来るのを待ちわびていたエルサレムのすべての人に、メシヤがおいでになったことを語りました。

それからイエスは、創世記から始めて、聖書(旧約)全体にわたって次々と預言者のことばを引用しては、救い主についての教えを説き明かされました。

ついに神は言われた。 「強情で不信仰な者ども、 もうわたしは知らない。 どんなことになるか見ているがいい。

また、神の子の到来を待ち望む熱心さについて話してくれるからです。この神の子こそ、神が死者の中から復活させたイエスであり、罪に対する神の恐るべき怒りから救い出してくださる、唯一の救い主なのです。

どうか、主の導きによって、神の愛とキリストの忍耐とを、あなたがたがますます深く理解しますように。

また、「兄弟たちと共に、神を信じよう」とも、「さあ、わたしはここにいる。神が与えてくださった子どもたちといっしょに」(イザヤ8・17-18)とも述べています。

キリストも、多くの人の罪のためにご自身をささげて、一度だけ死なれました。そして、もう一度おいでになりますが、今度は罪を取り除くためではありません。その時は、彼を待ち望んでいるすべての人の救いを完成させるために来られるのです。




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