彼らは不満げに言う。 『あなたの前で断食したのに、 なぜ心に留めてくださらないのですか。 なぜ、私たちのいけにえをごらんにならないのですか。 どうして、私たちの祈りを 聞いてくださらないのですか。 たくさんの罪滅ぼしをしたのに、 目も向けてくださいませんでした。』 その理由を説明しよう。 おまえたちは断食の最中にも悪い楽しみにふけり、 雇った労働者を虐げている。
さていよいよ、私はアハワ川のほとりで断食を命じ、一人一人が神の前に謙虚になるよう勧めました。そして、これからの道中の無事と家族や持ち物の安全を神に祈りました。
しばらく考えたのち、裕福な官僚たちを厳しく責めることにしました。「いったい、君たちのやってることは何だ。イスラエル人を助ける条件として、抵当を取るなど、そんなことがよくもできたものだ。」そして、彼らの処分をするため、みなの前で裁判を開きました。
私が主の前で嘆き悲しみ、断食すると、 彼らは私をあざ笑い、さげすみます。
教えをおろそかにする者の祈りはかなえられません。
天の軍勢の主である神はあなたがたに、 悔い改め、罪を犯したことを悲しんで頭をそり、 荒布で作った着物をまとうように 呼びかけました。
ところがあなたがたは、歌と踊りと遊びに興じ、 飲み食いに明け暮れて、言います。 「さあ、大いに飲み、たらふく食べよう。 せいぜい愉快にやろうではないか。 何をやっても同じだ。 どうせ明日は死ぬのだから」と。
バビロンよ、わたしはイスラエルを怒って おまえの手に渡し、少しばかり罰しようとした。 ところがおまえは、少しも手かげんしなかった。 それどころか、老人にまでも重い荷を負わせた。
これから命じることは、あなたがたが永遠に守るべきおきてである。毎年第七の月の十日(太陽暦では九月二十四日)は何の仕事もせず、謙虚に自分を反省する日としなさい。イスラエル人も共に住む外国人も区別はない。この日は、すべての罪が赦され、神の目から見てきよい者と認められる、罪の償いの日だからだ。
完全な休息の日として、身も心も静め、謙遜な思いで一日を過ごしなさい。これは永遠のおきてである。
聞きなさい。あなたがたはこう言った。 『神を礼拝したり、 神に従ったりするのは愚かなことだ。 律法を守っても、罪を悲しんでも、 何の良いことがあるだろう。 これからは、「高ぶる者は幸いだ」と言おう。 悪を働く者が栄え、 神に罰せられるようなことをしても、 罰を免れて平気でいるからだ』と。」
兄は父に食ってかかりました。『私はこれまで、お父さんのために汗水流して働いてきました。お父さんの言いつけに、ただの一度もそむいたことはありません。なのに、友達と宴会を開けと言って、子やぎ一匹くれたことがありますか。