どうして、少しも力のつかないもののために 金を無駄遣いするのか。 少しも腹の足しにならない食べ物のために 金を払うのか。わたしの言うことを聞きなさい。 そうすれば、たましいを元気にする 栄養価の高い食べ物をどこで手に入れるか、教えよう。
貧しい者は十分に食べて満足し、 主を求める者は主を見いだして、 御名をほめたたえるでしょう。 その心は永遠の喜びに酔いしれるはずです。
息子よ、娘よ、私のことばを聞きなさい。 主だけに頼り、 信じて従うことの大切さを教えよう。
その人々はあなたの祝福を豊かに受けて養われ、 喜びの川の水を心ゆくまで飲ませていただけるのです。
こうして、ついには身も心も満ち足りるのです。 私は喜びにあふれて賛美します。
「もしもあなたがわたしに従い、正しいことを行うなら、エジプト人を悩ませた病気であなたが苦しまなくてすむようにしよう。わたしはあなたを癒やす主である。」
しかし、わたしに聞き従う人は、 何の心配もなく、毎日を平和に暮らす。」
心臓を射抜かれるのを待つだけです。 まるで罠に飛び込む鳥のように、 どんな運命が待ち受けているか知らないのです。
だから、わたしのことばに聞き従いなさい。 わたしの命令を守ることが幸福のかぎなのだから。
知恵が開く宴会で、私が作ったぶどう酒を お召し上がりください。
喜んでわたしの助けを求め、 わたしに従いさえすれば、 おまえたちを富む者にしよう。
その日、神はご自分の民を解放し、 奴隷のくびきをはずして粉々に壊します。
天の軍勢の主は、エルサレムにあるシオンの山で、 全世界の人々のために豪華な宴会を催します。 おいしいごちそうと、熟成したぶどう酒、 それに脂肪ののった肉が出ます。
人にだまされている哀れな者は灰を食べます。何の助けにもならないものを頼りにしているからです。彼はまともな考え方ができません。「この手に握っている偶像は偽の神ではないか」と自分に問うことができないのです。
わたしを、金と銀を惜しげもなく使った偶像と 比べるつもりか。 あなたがたの金を奪って金細工人を雇う者は、 偶像を造り、ひれ伏して拝む。
自由の身となることを願い、主を尋ね求める者よ。 わたしの言うことを聞け。 あなたがたが掘り出された採石場、 切り出された岩を見よ。 先祖アブラハムとサラのことを考えてみよ。 あなたがたは、力がなく数も少ないと思い悩んでいる。 だが、わたしがアブラハムを呼び出したとき、 彼はたった一人ではなかったか。 それが祝福を受けて、大きな国になった。
わたしの民イスラエルよ、よく聞け。 わたしは必ず正義が勝つようにする。
わたしの言うことを聞け。 正しいことと間違ったことを知り、 わたしの教えを大切に胸にしまっている人よ。 人々のそしりや中傷を恐れてはならない。
主はエルサレムに、心をこめて誓いました。 「再びあなたを敵の手に渡さない。 再び外国の兵士に穀物とぶどう酒を 横取りさせない。
自分で栽培したものは自分の口に入れ、 わたしをたたえるようになる。 神殿の内庭で、手づくりのぶどう酒を飲む。
せっかく刈り入れた物が敵の食糧になったり、 生まれた子どもが戦場で死んだりすることはない。 彼らは主に祝福され、その子らも祝福されるからだ。
小麦をまいても、刈り取るのはいばらです。 どんなに汗水流して働いても、 何の足しにもなりません。 ただ恥を刈り取るだけです。 主の激しい怒りが注がれるからです。
だが、おまえたちがわたしに従い、安息日に働くのをやめ、きよい特別な日とするなら、
わたしの民は悪事に悪事を重ねた。 いのちの水の泉であるわたしを捨て、 水をためることもできない、壊れた水ためを作った。
わたしは祭司たちを、 神殿に運ばれる山のような供え物で再びもてなす。 わたしの民がすっかり満足するまで、 十分に食べさせる」と、主は約束します。
イスラエルは風を追い、 つむじ風の番をしています。 全く危険な遊びです。 エジプトやアッシリヤに贈り物をし、援助を求めますが、そのお返しは価値のない約束です。
彼らは風を蒔いて、つむじ風を刈り取る。 麦には穂が出ず、茎だけが立っている。 そのうち枯れて病気になり、実を結ばない。 たとえ実を結んでも、外国人に食べられてしまう。
主に逆らう国々の利益は 彼らの手の中で灰になると、主は定めていなかったか。 彼らがどんなに精を出しても、すべてが水の泡だ。
彼らがわたしを拝んでも、むだなことだ。 神のおきての代わりに、 人間の規則を教えているのだから。』(イザヤ29・13)」
それで王は、もう一度別の使いをやり、こう言わせました。『何もかも用意ができました。肉も焼き始めています。おいでを待つばかりです。』
神の前に、正しく良い者になりたいと心から願っている人は幸いです。そういう人の願いは完全にかなえられるからです。
イエスは、もう一度群衆を呼び寄せて、「さあ、よく聞いて、その意味を考えなさい。
それから肥えた子牛を料理して、盛大な祝宴の用意をしなさい。
食べ物のようになくなってしまうものに心を奪われてはいけません。それよりも、永遠のいのちを手に入れる努力をしなさい。それこそ、メシヤ(救い主)のわたしが与えるものです。そのために、父なる神はわたしをお遣わしになったのです。」
信仰は、キリストについてのことばに耳を傾けることから始まるのです。
一方、ユダヤ人は律法を守ることによって、神の救いを追い求めようと努力したのに、それを得ることができませんでした。
今日私が与えるすべての戒めを注意深く守り、心を尽くし、たましいを尽くして主を愛するなら、
まちがった教えに心を奪われてはなりません。あなたがたの霊的な力は神からのものであって、ある特定の物を食べる規定によって得られるものではありません。そのような規定を厳守しても、何の益にもなりません。