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イザヤ書 53:10

リビングバイブル

彼を傷つけ、悲しみで満たすのは、 主の計画だったのです。 罪の赦しのためのささげ物として、 そのたましいをささげるとき、 彼は多くの子孫を見ることができます。 彼は復活し、 神の計画は彼の手によって成し遂げられます。

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62 相互参照  

あなたのご威光が輝き渡ると、 民はきよい祭服をまとって、 喜んでやって来るでしょう。 あなたは朝露のように、日々新しい力を帯びられます。

しかし、主を敬い、その愛と恵みを待ち望む人々を、 主はことのほかお喜びになります。

主はご自分の民を喜んで受け入れ、 謙虚な者を救ってくださるのです。 この光栄を思い浮かべて、 神の民が感謝しますように。 寝床でも、喜びのあまり歌いだしますように。

満ち足りた長寿を求める王の願いを 聞き届けられました。 彼のいのちは永遠に限りなく続くのです。

私たちの子どもも主に仕えます。 私たちが、主のすばらしさを語り伝えるからです。

のちの世代もまた、 主が私たちのためになさった すべての奇跡のことを聞くでしょう。

彼らは、神が懲らしめた者を迫害し、 神が切りつけた者の傷を見てあざけったからです。

この方の名は太陽のように永遠にあがめられます。 すべての人はこの方によって祝福され、 世界中の国々がこの方をほめたたえます。

彼の治世においては、正しい者が栄え、 永遠に平和を楽しみますように。

彼の跡継ぎは絶えることがなく、 王座は永遠に受け継がれる。

わたしの支えるしもべ、 わたしの喜びとする選ばれた者に目を留めよ。 わたしは彼に、わたしの霊を与えた。 彼は世界の国々に正義を示す。

何が起こるかを教えることができるのは、 このわたしだけだ。 わたしの言ったことは、みなそのとおりになる。 心に決めたことはどんなことでも実行する。

私は答えました。 「しかし、私のこれまでの仕事はみな 失敗に終わりました。 力を使い果たしましたが、 何の手ごたえもありません。 どうぞ、お心のままに報いてください。」

それゆえ、わたしは 彼に、 偉大な勝利者としての栄誉を与える。 彼は進んでいのちをささげたのだ。 彼は罪人の一人に数えられ、多くの人の罪を負い、 罪人のために神にとりなしをした。」

以前の着物は小さくなり、今にもはち切れそうだ。 あなたの子孫は、外国の捕虜になっていた間 荒れはてていた町々を取り戻し、 祖国を占領していた国々を支配するようになる。

彼らの子孫は国々の間に知れ渡り、尊敬される。 すべての者が、彼らは神に祝福された民だと認める。」

「わたしの造る新しい天と地がいつまでも残るように。 あなたがたはいつまでもわたしの民となり、 あなたがたに与えられる名は永久にすたれない。

その主権は増し、平和は絶えることがありません。 彼はダビデの王座につき、 世界のすべての国々に真の正義と平和をもたらします。 天の軍勢の主の熱意で、 このことは必ず実現します。

わたしは心から喜んで彼らを幸福にし、再びこの地に植える。

彼らに告げなさい。神である主がこう語る、と。わたしは生きている。わたしは悪者どもの死を喜ばない。それどころか、悪者が悪の道から悔い改めて生きるようになることを願っている。さあ帰って来なさい。悪の道から離れ、立ち返るのだ。ああ、イスラエルよ。なぜ、そんなにも死にたがるのか。

彼らは、わたしがわたしのしもべヤコブに与えた地、彼らの先祖が住んでいたイスラエルの地に住むようになる。彼らだけでなく、子々孫々に至るまで、そこに住むようになる。そして、わたしのしもべダビデが永遠に彼らの王となる。

主は、エルサレムとあなたの同胞とに、さらに四百九十年に及ぶさばきを言い渡した。そののち、ようやく彼らは罪から離れるようになり、その罪のとがめから解き放たれる。それから、永遠の義の支配が始まり、預言者たちが告げたように、神殿の至聖所が再建される。

あなたのような神が、ほかにいるでしょうか。 あなたはご自分の民の中で生き残った者の 罪を赦してくださいます。 あわれみを好み、 ご自分のためをいつまでも怒ってはおられません。

あなたの神、主が、 あなたのうちに住むために到着したからだ。 この方は力ある救い主で、勝利をお与えになる。 あなたのことをことのほか喜ぶ。 あなたを愛し、責めることはなさらない。」 聞こえてくるのは、 喜びにあふれた聖歌隊の歌声だろうか。 いや、神が、あなたがたのことを喜び、 歌っているのだ。 「わたしは傷ついた者を集め、あなたの恥を取り去ろう。

全能の主は言います。 「剣よ、目を覚まして、わたしの仲間、 わたしの同僚である牧者に切りかかれ。 その牧者を打ち倒せ。 そうすれば、羊は散り散りになる。 しかし、わたしは戻って来て、 子羊を慰め、世話をする。

さらに、焼き尽くすいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭、

ところが、そう言っているうちにも、光り輝く雲が現れて、三人をすっぽり包んでしまいました。そして雲の中から、「これこそ、わたしの愛する子。わたしはこれを心から喜んでいる。彼の言うことを聞きなさい」という声がしました。

その時、天から声が聞こえました。「これこそ、わたしの愛する子。わたしは彼を心から喜んでいる。」

彼は永遠にイスラエルを治め、その国はいつまでも続くのです。」

その翌日、ヨハネはイエスが来られるのを見て、言いました。「ごらんなさい。この方こそ、世の人々の罪を取り除く神の小羊です。

よく言っておきます。畑にまかれる一粒の麦のように、わたしも地に落ちて死ななければなりません。そうしなければ、いつまでたっても一人のまま、一粒の種のままです。しかし、死ねば多くの新しい実が生じ、新しいいのちが豊かに実を結ぶことになります。

神はわたしに、ご自分の栄光を与えてくださるのです。それも、すぐにです。

キリストは死者の中から復活されたので、もう二度と死ぬことはありません。死には、もはやキリストを支配する力がないのです。

神は私たちすべてのために、たった一人の御子さえ惜しまずに、死に渡されたほどのお方ですから、ほかのすべてのものをも下さらないわけがあるでしょうか。

ですから、なおも古い自我に支配されて欲望に従い続ける者は、決して神をお喜ばせすることができないのです。

それは神様が、罪のないキリストに私たちの罪を負わせ、それと引き換えに、私たちに恵みを注いでくださったのですから。

しかし自分の悪い行いのために、私たちが受けなければならないはずののろいを、キリストはご自分の身に引き受け、私たちを律法ののろいから救い出してくださいました。聖書に、「木にかけられる者はだれでも、のろわれた者である」(申命21・23)と書いてあるからです。

神の御心は、イエス・キリストを遣わし、その死によって、私たちを神の家族の一員として迎えることでした。

キリストを遣わすというご計画を知らせてくださいました。その計画は、はるか昔から神の愛のうちに決定されていたことでした。

思いやりに満ちあふれた者となりなさい。キリストの愛は、あなたがたの罪を取り除くために、ご自身をいけにえとして神にささげるほど深かったのです。このキリストの愛の香ばしいかおりを、神はお喜びになったのです。

そのためにも、いつも、あなたがたのことを思って祈っています。どうか神が、神の選びにふさわしい者として、あなたがたの信仰を評価してくださいますように。

また、「兄弟たちと共に、神を信じよう」とも、「さあ、わたしはここにいる。神が与えてくださった子どもたちといっしょに」(イザヤ8・17-18)とも述べています。

古い大祭司は、神の前に出る時、まず自分の罪をきよめるために、そして人々の罪のために毎日、動物のいけにえの血をささげる必要がありました。しかしキリストには、その必要が全くありません。なぜなら、主ご自身が十字架にかかってご自分をいけにえとしてささげ、ただその一度の行為で、すべてを成し遂げてしまわれたからです。

ましてキリストの血は、どれほど確実に私たちの心と生活を変えることでしょう。キリストご自身のささげられた血は、古い規則に縛られる悩みから私たちを解放し、生ける神にお仕えしたい気持ちに駆り立てるのです。それは、一つの罪も欠点もない完全なお方が、聖霊の助けによってご自分を喜んで神にささげ、私たちの罪のために死んでくださったからです。

キリストは、私たちの罪をその身に負って、十字架上で死んでくださいました。そのおかげで、私たちは罪から離れ、正しい生活を始めることができたのです。キリストが傷つくことによって、私たちの傷はいやされました。




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