それでもわたしは、 自分のためにあなたを怒りから救い、 滅ぼさない。 異邦人が、 自分たちの神々がわたしを征服したと言わないように。 わたしは彼らにわたしの栄光を譲り渡すようなまねは、 絶対にしない。
しかし、そんな人々をも、主はお救いになりました。 それは、ご自身の名誉を守り、 お力を全世界に知らせるためでした。
ああ主よ。 私たちではなく、あなたがあがめられますように。 すべての人が、神の恵みと真実をたたえますように。
しかし、主よ。 私はなんと数多くの罪を犯していることでしょう。 ああどうか、御名のために私をお赦しください。
わたしの名誉にかけて、また、わたしの忠実なしもべダビデのためにも必ずここを守る。」
わたしは主である。これがわたしの名だ。 わたしは、ほかの者に栄光を譲るようなことはしない。 わたしの栄誉を、彫刻した偶像たちに 与えるようなことは絶対にしない。
わたしは自分のために、あなたがたの罪をぬぐい去り、 それを二度と思い出さない。
だから、これからしようとすることを、 あらかじめ知らせておいたのだ。 あなたに、 『私の偶像がしたのだ。 私の彫像が、そうなるようにと命令したのだ』 と言わせないためである。
しかしわたしは、自分のため、自分の栄誉のために 怒りを抑え、あなたを滅ぼさなかった。
ところが今、「これはどうしたことか」と主は尋ねます。「なぜわたしの民はまた奴隷となり、理由もなく痛めつけられているのか。彼らの支配者は歓声を上げ、わたしの名は一日中さげすまれている。
ああ主よ。私たちはひどい罪を犯しました。 けれども、ご自身の御名のために、 私たちを助けてください。
しかし、わたしの名誉を守るために、またも思いとどまった。エジプトから彼らを連れ出すのを見ていた国々の民に、主は民を守ることができず滅ぼすことになってしまったと言わせないためだ。
それでもなお、わたしは彼らを罰せずにおいた。エジプトから彼らを連れ出したわたしの力を見た国々の中で、わたしの名が傷つけられないためだ。
ああ、イスラエルよ。神である主はこう語ります。「そんなにも偶像を拝みたければ拝むがいい。だが、そうするなら、わたしにささげ物を持って来るようなことはしてはならない。そのようなことをして、わたしの聖なる名を汚すようなことはやめよ。」
その悪にもかかわらず、あなたがたを祝福することによって、わたしの名誉を守る時、イスラエルよ、あなたがたはわたしが主であることを知るようになるのだ。」
しかし結局、そうはしなかった。イスラエルの神は自分の民を守ることもできなかった、とエジプト人にあざ笑われることがないように、わたしの名誉を守ろうとしたからだ。それで、エジプト人の目の前で、わたしの民をエジプトから連れ出し、荒野へ導き入れたのだ。
それゆえ、イスラエルの民に言え。」神である主はこう語ります。「わたしはあなたがたを祖国に連れ戻す。それだけの取り柄があなたがたにあるからではない。そうするのは、あなたがたが国々の間で傷つけた、わたしの評判を回復するためだ。
ああ、私たちの神よ。しもべの祈りを聞き入れ、その願いに耳を傾けてください。主よ。ご栄光のために、荒廃した神殿の上に御顔を輝かせ、平和と喜びとを満たしてください。
すべての者が父を敬うように、子をも敬うためです。だから、父なる神がお遣わしになった神の子を敬わないのは、父を敬わないのに等しいのです。
「あなたがたのゆえに、世の人々は神を汚す」(エゼキエル36・20)と聖書に書かれているとおりです。
主は、ご自分の民を捨てて、その偉大なお名前を汚すようなことはなさらない。主はあなたがたを、特別な民として選んでくださったのではないか。そうすることが主のご意志だったのだ。