偶像を造り、それを神にするとは、なんと浅はかな者でしょう。そんな者たちの希望はむなしい夢にすぎません。見ることも知ることもできない偶像を頼みにしているのですから。そんな偶像を拝む者が恥を見るのは当然です。
その国々の偶像を焼き払いました。それらの偶像はもともと神ではなく、人間が木や石で造ったものにすぎなかったので当然です。
ところが彼らの神々は、 銀や金でこしらえた手製のものなのです。
そのようなものを作ったり、 拝んだりする者たちは、偶像と同じくらい愚かです。
偶像を作る者や、信仰する者も、同じく愚かです。
拝む価値もない神々を誇る者どもは、 恥をかきますように。 その神々はみな、主の前にひれ伏すべき存在です。
神の警告を聞いても、いっこうに気にかけず、 振り上げられたこぶしを見ようともしません。 どうか、イスラエルをどんなに愛しているかを、 はっきり示してください。 そうすれば彼らも恥じ入るでしょう。 神の敵のために取っておいた火で、 彼らを焼き尽くしてください。
もちろん、そんなことができるはずはない。 神といっても名ばかりで、何一つできないのだから。 あなたがたを選んだ者は、自分の頭が正常かどうか、 調べてもらえばよい。
みな愚かで、役に立たない者ばかりだ。 まるで風のように頼りにならない。
しかし偶像を頼りにし、それを神と呼ぶ者には 失望落胆します。 そのような者たちは退けられます。
「あなたがたは神のこととなると、 何も見えず、何も聞こえなくなる。 なぜ聞こうとしないのか。なぜ見ようとしないのか。
わたしに呼ばれても、 目が見えず、耳が聞こえない者たちを、 わたしのもとに連れ戻せ。
すべての国々の民を集めよ。 どの偶像が、このようなことを前もって知らせたか。 どの偶像が、一日先のことでも予告できるか。 どこに、彼らのことばを少しでも聞いた証人がいるか。 そんな者は一人もいない。 だとしたら、預言できるのは神だけだと 認めないわけにはいかないだろう。
偶像を拝む者はみな、顔を真っ赤にして主の前に立つことでしょう。自分は神を造ったと誇っていた大工も同じです。彼らは共に震えおののきながら主の前に立ちます。
こんな愚かなことがあっていいのでしょうか。神は、見えないようにと彼らの目をふさぎ、理解できないようにと心を鈍くしました。
人にだまされている哀れな者は灰を食べます。何の助けにもならないものを頼りにしているからです。彼はまともな考え方ができません。「この手に握っている偶像は偽の神ではないか」と自分に問うことができないのです。
偶像を拝む者たちはみな失望し、恥を見ます。
クロスの手から逃げて来た人々よ、 さあ、手をつないで集まれ。 木の偶像をかつぎ回り、救うことのできない神々に 祈りをささげる者は、なんという愚か者だろう。
さらに、おまえたちの正しさと良い行い、 そんなものは、おまえたちを救えない。
それで、神である主は告げます。 「おまえたちは飢えるが、 わたしのしもべたちは十分に食べる。 おまえたちはのどが渇くが、彼らは存分に飲む。 おまえたちは悲しみに沈み、恥を見るが、彼らは喜ぶ。
どこの国の神が、 私たちのために雨を降らせるでしょう。 私たちの神以外に、 そんなことのできる神はいません。 ですから私たちは、 あなたが助けてくださるのを待っています。
イスラエルは、 捕まることだけを恥と考えているどろぼうのようだ。 王、指導者、祭司、それに預言者も、 みな同じだ。 彼らは木彫りの像を父と呼び、 石細工の偶像を母と呼ぶ。 ところが、いざ困ったことが起こると、 助けてくださいと、わたしに泣きつく。
その代わりに、先祖たちの知らなかった、とりでの神を礼拝し、高価なささげ物を惜しげもなくささげる。
それどころか、天の主に逆らい、主の神殿の杯をここに持って来させました。王も、高官たちも、王妃やそばめたちも、その杯でぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石でできた、見ることも聞くことも、悟ることもできない神々をほめたたえました。こうして、王にいのちの息を与え、王の人生を手中に握っている神をほめたたえなかったのです。
「神なんか信じなくてもいい、自分は賢いのだ」と主張しながら、実際には、全くの愚か者になってしまいました。
では、この問題はどうなるでしょう。偶像に供えた肉を食べてもよいのでしょうか。私たちはみな、偶像など実際には神ではなく、神様はおひとりだけで、ほかにはいないことを知っています。
それは、この邪悪な世の神であるサタンのしわざです。目隠しをさせて、その人の上に輝いている福音の栄光が見えないようにしているのです。また、まことの神、キリストの栄光に関する私たちの証言を理解できないようにしているのです。
彼らの閉ざされた心の中は真っ暗です。神に対して心を閉ざしているので、神のいのちから遠く離れています。
あなたがたの心は以前は暗闇におおわれていましたが、今は主にあって光にあふれています。そのことを態度で示しなさい。
『隠れて、彫像や鋳像を造って拝む者はのろわれる。主は人間が造った神々を憎まれるからだ。』民はみな、『アーメン』(「そのとおりです」「そうしてください」の意)と答えなさい。
あなたがたは、やがてその国々で、見ることも、聞くことも、食べることも、においをかぐこともできない、木や石の偶像を拝むようになるのです。
行って、新しく選んだ神々にでも助けてもらうがよい。」