主は長い間沈黙を守り、じっとこらえてきましたが、 今は怒りをぶちまけ、 子を産もうとしている女のようにあえぎます。
さっきから、言いたいことがたくさんあって、 うっぷんがたまっていたのだ。
思いきり語って、気分を晴らさせてほしい。
シオンの山のうるわしい宮から、 神の栄光が輝きわたります。
今まではわたしも、じっと黙って見てきた。 おまえは、神は気にかけていないと思っていた。 しかしついに、罰の下る時がきた。 これらのことが、おまえの罪状だ。
しかし主は、あなたがたを愛し、 いつの日か、みもとに帰って来るのを待っています。 約束どおり、あなたがたをむりやりつかまえてでも 祝福しようと待ちかまえています。 主は約束は必ず守るお方なので、 主の助けを待ち望む人は幸いです。
どうして、わたしよりも他の神々を恐れるのか。 わたしのことなど心になかったのは、どういうわけか。 わたしがあまりにも優しすぎたので、 恐れることはないと考えるようになったのか。
主よ、これでもなお、 私たちを助けることを拒むのですか。 黙って眺めるだけで、なおも私たちを罰するのですか。
さあ、これが、わたしの書いた声明文だ。 『わたしは黙っていない。きっと報復する。 そうだ、間違いなく報復する。』
おまえはわたしを捨て、わたしに背いた。 だからわたしは、おまえを打ちすえようと、 こぶしを振り上げる。 おまえに立ち直る機会を与えるのがいやになったのだ。
「わたしは、初産の女の陣痛のような、 大きなうめき声を聞いた。 それは、殺そうとする者の前にひれ伏し、 あえぎながら助けを請う、わたしの民の叫びだ。
神があなたがたの悪に我慢できなくなったので、祖国は今のように荒れ果て、徹底的に破壊され、のろわれ、だれも住まない地になったのです。
まして神は、昼も夜もひたすら訴え続ける信者たちを、必ず正しく取り扱ってくださるはずです。そうは思いませんか。
なぜ主が、こんなにも長く待っておられるのか考えてみなさい。主は、私たちが救いを伝える時間を与えておられるのです。学識の深い、愛する兄弟パウロも、多くの手紙の中で同じことを書いています。しかし彼の手紙はむずかしいところがあるので、中には的はずれの解釈をする者がいます。彼らは、聖書のほかの箇所もそうですが、パウロが言おうとしていることとは全く別の意味を引き出し、自分で滅びを招いているのです。