そして国々の神を火に投げ入れました。みな神とは名ばかりで、人間が木や石で造った偶像にすぎませんが。だからアッシリヤ人は、難なくこれらの神々の息の根を止めることができたのです。
その時、ダビデ軍は、ペリシテ人が置き去りにしていった多くの偶像を運び捨てました。
彼はやにわに子牛の像をつかみ、火にくべて溶かし、粉々にして水の上にまき散らし、イスラエル人にむりやり飲ませました。
ところが当のアッシリヤ王は、 わたしにあやつられているとは夢にも思わない。 世界征服の一部として、 神の民を攻めているだけだと考える。
もはや、偶像に助けを求めるようなことはせず、自分の手で造ったものを拝まなくなります。二度と、アシェラ像や香の祭壇に心を寄せません。
そのうえ国中に偶像があふれています。 人間が造った像を拝んでいるのです。
私たちが仕えた神々は死んで姿を消し、 もう息を吹き返しません。 あなたが彼らに立ち向かい、滅ぼしたからです。 彼らはすっかり忘れ去られました。
もちろん、そんなことができるはずはない。 神といっても名ばかりで、何一つできないのだから。 あなたがたを選んだ者は、自分の頭が正常かどうか、 調べてもらえばよい。
みな愚かで、役に立たない者ばかりだ。 まるで風のように頼りにならない。
新しい偶像造りを急ぐ。 彫刻師は鍛冶屋をせかせ、 鋳物師は、かなとこをたたく手伝いをして、 「もう十分火が通った。 さあ、腕の部分をはんだづけしよう」と言う。 注意深く各部をつけて、堅くしめつけ、 ばらばらにならないようにする。
その残り物で神を造るのです。彫って造った偶像を拝み、「私をお救いください。あなたは私の神です」と願うのです。
こうして、わたしの民に罰を加える。 わたしを捨て、 自分の手で作った神々を拝んだからだ。
ほかの神々を拝む者に言ってやりなさい。天と地を造らなかった神々は、地上から姿を消す運命にある、と。
神を作ることが人間にできるでしょうか。 人間の作る神々は本物の神ではありません。」
エジプトに凱旋する時、彼はシリヤの偶像や高価な金銀の食器類を、戦利品として持ち帰る。そののち何年間か、彼はシリヤの王にかまわない。
それどころか、天の主に逆らい、主の神殿の杯をここに持って来させました。王も、高官たちも、王妃やそばめたちも、その杯でぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石でできた、見ることも聞くことも、悟ることもできない神々をほめたたえました。こうして、王にいのちの息を与え、王の人生を手中に握っている神をほめたたえなかったのです。
いつになったら、自分たちが拝んでいる子牛を、 人間の手で作られたものだと認めるのだろう。 そんなものは神ではない。 だから粉々に砕いてしまわなければならない。
ガラテヤの人たち。あなたがた外国人は、神を知らなかった時、実際には存在しない「神々」と呼ばれているものの奴隷でした。