獄中でわずかなパンと水しか与えられないときでさえ、主はあなたのそばにいて教え導いてくれます。あなたは自分の目でその主を見ることができるのです。
そして、『王の命令だ。この男を牢につなぎ、私が無事に帰って来るまで、やっと生きられるだけのパンと水をあてがっておけ』と言うのだ。」
『この男を牢に入れ、戦いから無事に戻って来るまで、わずかなパンと水をあてがっておけ、と王が命じた』と言いなさい。」
神の激しい御怒りにふれて、 私はパンの代わりに灰を食べ、 涙まじりの飲み物を飲むのです。 私は神から放り出されました。
暮らしを支えるために朝早くから夜遅くまで 身を粉にして働いたとしても、 それが何になるでしょう。 主は、愛する者には必要な休息を 与えようとなさるお方です。
主の怒りはつかの間ですが、 その恵みは生きる限り続きます。 たとえ、夜通し泣き明かすことがあっても、 朝には喜びが訪れます。
私たちが神の民であることを証明するものは、 もう何もなくなりました。預言者もいないのです。 こんな状態がいつまで続くのか、だれも知りません。 ああ神よ、いつまで敵が あなたのお名前を踏みつけるのを、 お許しになるのですか。 彼らをそのままにしておかれるのですか。
悲しみと涙が私たちの食べ物なのですか。
民は口々に不平を言います。 「イザヤは自分をだれだと思っているのか。 このようなことを私たちに言うとは。 ろくにしゃべれない子どもとでもいうのか。
このような者は高い所に住む。 山の岩が、彼らを守る頑丈なとりでとなる。 食べ物は十分にあてがわれ、 欲しいだけの水が補給される。」
奴隷の生活も長くはない。 もうすぐ自由の身になるのだ。 地下牢や飢えや死とは縁がなくなる。
ですから、収穫の主である神に祈りなさい。刈り入れの場にもっと多くの働き手を送ってくださるように願うのです。」
それぞれの町でクリスチャンたちに会い、ますます神を愛し、また互いに愛し合うように教え、どんな迫害にもくじけず、信仰にとどまり続けるようにと励ましました。そして、「神の国に入るには、いろいろ苦しい目に会わなければならない」と語りました。
さてこうして、ある者には使徒としての賜物が与えられ、ある者にはすぐれた説教者としての賜物が与えられました。また、キリストを救い主として信じるように人々を指導する賜物を受けた者もいれば、羊を見守る羊飼いのように、神の民となった人たちの世話をし、教え導く力を受けた者もいます。
それを、パン種(イースト菌)を入れないパンといっしょに食べます。エジプトから逃げ出す時に食べたパンをしのんで、七日間パン種を入れないパンを食べるのです。エジプトを発つ時には、パンをふくらませる時間もありませんでした。生涯、あの日のことを忘れないようにしなさい。