アッシリヤのサルゴン王が、司令官にペリシテの町アシュドデを襲わせ、占領させた年のことです。
ところがアッシリヤの王は、前線の将軍、主計長、参謀長に大軍をつけてエルサレムに送ったのです。彼らは、布さらしの野(城外にあった、布をさらす職人たちの作業場)に面した大路に沿って、上の池の水道のそばに宿営しました。
王はペリシテ人と戦った時、ガテの町を占領して城壁を壊し、ヤブネとアシュドデの町々も同様にしました。それから、アシュドデとペリシテのほかの場所に新しい町を建てました。
ペリシテの町々よ、大声で泣き叫べ。 おまえたちの運命は決まっている。国は滅ぶのだ。 北から鍛え抜かれた軍隊が攻めて来る。」
アシュドデの民を殺し、 エクロンと、アシュケロンの王を滅ぼそう。 残ったペリシテ人は滅びる。」
それで、イスラエルの地から巨人族は絶えましたが、それでもガザ、ガテ、アシュドデには、少数の生き残りがいました。
ペリシテ人は奪い取った神の箱を、エベン・エゼルの戦場からアシュドデの町へ移し、偶像ダゴンの宮に運び込みました。
罪過を償ういけにえとして送られた腫物の金の模型は、五つの町、アシュドデ、ガザ、アシュケロン、ガテ、エクロンの領主たちからのささげ物でした。