その時代には、主の祭壇がエジプトの中心地に設けられ、国境には主の記念碑が立てられて、
その時、主がアブラムに現れ、「この地をあなたの子孫に与えよう」と約束されました。アブラムは喜んで、主とお会いした記念に、そこに祭壇を築きました。
次の朝早く起き、枕にした石を立てて記念の柱とし、オリーブ油を注ぎかけました。
エジプトは貴金属の品々を贈ってよこし、 エチオピヤは神に慕いこがれて 手を差し出すでしょう。
モーセは主から与えられたことばを書き記しました。そして翌朝早く、山のふもとに祭壇を築き、その回りに、イスラエルの十二部族を表す十二本の柱を立てました。
わたしは彼らをエルサレムにあるわたしの聖なる山へ連れて行き、わたしの祈りの家で喜ばせる。わたしは彼らのいけにえや供え物を受け入れる。わたしの神殿は『すべての民の祈りの家』と呼ばれるからだ。」
ケダルの羊の群れはあなたのものとなり、 ネバヨテの雄羊はわたしの祭壇にささげられる。 こうして、わたしはその日、栄光に輝くわたしの神殿を ひときわすばらしいものとする。
すべての者が、週ごとに、また月ごとに、 わたしを礼拝するために来る。
ユダ王国のヨシヤの子エホヤキム王が即位して四年目に、エジプトのネコ王の率いる軍隊が、ユーフラテス川沿岸のカルケミシュで、バビロンのネブカデネザル王に敗れた時、エジプトについて次のことばがありました。
エホヤキン王が投獄されて十年目の第十の月の十二日に、主から次のようなことばがありました。
また、主から私に別のことばが示されました。
エホヤキン王が捕囚となって十一年目の第三の月の一日、次のような主のことばがありました。
エホヤキン王の捕囚から十二年目の第十二の月の一日、このような主のことばがありました。
遠い地から来たこの三人は、主の神殿を再建するために、いつか遠い地から来る人々を表している。そのことが起こる時、あなたがたは、私のことばが全能の主である神からのものであったことを知る。だが、神である主の命令に注意して従わないなら、このようなことは一つも起こらない。」
私たちには、キリストがいけにえとなられた十字架という祭壇があります。律法に救いを見いだそうとする人は、この祭壇から助けを受けることはできません。
ところがヨルダン川を渡る寸前、まだカナンの地にいる時、彼らは、だれの目にも留まるほど大きな、祭壇をかたどった記念碑を建てたのです。
ですから、私たちも焼き尽くすいけにえや和解のいけにえ、その他のいけにえをささげて主を礼拝できることを、私たちと皆さんとの子どもに示す記念碑として、あの祭壇を築いたのです。そうすれば、私たちの子孫が、『おまえらなんか主の民ではない』などと言われることもないでしょう。
たとえそう言われても、胸を張って答えることができます。『僕らの先祖が、主の祭壇の型にならって作った、この祭壇を見てくれ。これは焼き尽くすいけにえや、その他のいけにえをささげるつもりのものではない。ただ、僕らと君たちが、共に神様と結び合わされた者どうしであることのしるしなのだ。』
一方、ルベンとガドの人々は例の祭壇を、「私たちにとっても彼らにとっても、主が神であることの証拠だ」と言って、「あかしの祭壇」と名づけました。