時が過ぎて、今やアハシュエロスの子ダリヨス王の治世の第一年となりました。ダリヨスはメディヤ人でしたが、カルデヤ の王となったのです。
メデアびとアハシュエロスの子ダリヨスが、カルデヤびとの王となったその元年、
ダレイオスの治世第一年のことである。ダレイオスはメディア出身で、クセルクセスの子であり、カルデア人の国を治めていた。
のちに、アハシュエロス王が即位すると、彼らはユダとエルサレムの人々を非難する手紙を送りました。
アハシュエロスは、インドからエチオピヤにまで及ぶ広大なメド・ペルシヤ帝国の皇帝でしたが、その治世の第三年に、シュシャンの王宮で盛大な祝宴を催しました。皇帝は各地から、総督、随員、将校たちをみな招待しました。
ダニエルは、クロス王の治世の第一年まで、王の参議官の地位にありました。
メディヤ人ダリヨスをその治世の第一年に力づけ、助けるために遣わされたのは、この私だった。
メディヤ人ダリヨスが都に入り、その国を支配するようになりました。時に、ダリヨスは六十二歳でした。
ダリヨス王は国を百二十の州に分け、それぞれに知事を置きました。
こうしてダニエルは、ダリヨス王の治世とペルシヤ人クロス王の治世に栄えました。