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コリント人への第二の手紙 3:15 - リビングバイブル

確かに今日でも、彼らがモーセの書を朗読する時、その心には覆いがかかったままです。

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ALIVEバイブル: 新約聖書

確かに、今日でも、彼らがモーセの書を朗読する時、その心には覆いがかかったままだ。 それで、十戒に従うことこそ救われる道だ、と考えているのだ―― 【1日だけでも、ユダヤ人がみな掟に従うのなら、救世主が現れると考えていた】

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Colloquial Japanese (1955)

今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、おおいが彼らの心にかかっている。

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Japanese: 聖書 口語訳

今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、おおいが彼らの心にかかっている。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

このため、今日に至るまでモーセの書が読まれるときは、いつでも彼らの心には覆いが掛かっています。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

そうだ!今でもモーセによって与えられたモーセの律法が読まれる時、彼らの思考には覆いがかかっている。

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聖書 口語訳

今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、おおいが彼らの心にかかっている。

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コリント人への第二の手紙 3:15
4 相互参照  

その時、神は、地表を覆っている 死の雲を取り除き、


覆いがかけられたのは、モーセの顔だけではありません。イスラエルの人々の霊的理解力も覆われたのです。今でも、聖書が朗読される時、ユダヤ人の思いには、厚い覆いがかかっているように思えます。というのは、聖書のほんとうの意味を知ることも、理解することもできないからです。この覆いは、キリストを信じて初めて取り除かれるのです。


しかし、だれでも罪に背を向け、主のほうに向く時、その覆いは取り除かれます。