22 王宮の一日分の食糧は、小麦粉三十コル(六千九百リットル)、大麦粉六十コル(一万三千八百リットル)、
22 さてソロモンの一日の食物は細かい麦粉三十コル、荒い麦粉六十コル、
食卓に並んだ山海の珍味、そろいの服装で仕えている大ぜいの家臣や従者、酌をする者、さらに、主にささげられた多くのいけにえを見て、息も止まるばかりでした。
ソロモン王は、ユーフラテス川からペリシテ人の地、さらにエジプトの国境までの地を支配していました。そこに住む人々は、ソロモン王に貢ぎ物を納め、王が生きている間ずっと服従しました。
牛舎で太らせた牛十頭、放牧地で太らせた牛二十頭、羊百頭でした。そのほか、時に応じて、雄鹿、かもしか、子鹿、肥えた鳥などが調理されました。
その返礼に、ソロモンはヒラムに宮廷用の食糧として、毎年、小麦二万コル(四百六十万リットル)、上質のオリーブ油二十コル(四千六百リットル)を送りました。
そのうえ、食卓の料理の豪勢なこと、王に仕える家来や従者の多いことは目をみはるばかりでした。彼らのそろいの服装、威儀を正した側近たち、王を護衛する人々を見て、息も止まりそうでした。
一日につき、雄牛一頭、肥えた羊六頭。また、おびただしい鶏が必要で、十日ごとに種々のぶどう酒も用意しました。それでも、新たに課税することはしませんでした。そうでなくても、国民の生活は苦しかったからです。
収入が多くなれば、それに応じて支出も多くなります。金銭にどんな利益があるというのでしょう。彼らは金銭が指の間からこぼれ落ちていくのを眺めていることしかできないのです。
王はこの若者たちに、三年間の訓練期間中、王が食べるのと同じ最上の食物とぶどう酒を与えました。訓練ののちにこの若者たちを、王の参議官に取り立てる計画だったのです。
中には、戦場に追いやられる者も出るだろう。そして、残りの者はみな、奴隷のように働かされる。王家の領地を耕し、刈り入れにも無報酬で駆り出され、武器や戦車の部品作りにも動員されるのだ。