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ヘブル人への手紙 5:12 - リビングバイブル

12-13 あなたがたは、もう長い間、クリスチャンとして生きてきました。ほかの人を教えても当然なのに、もう一度、神のことばのイロハから手ほどきしてもらわなければならないほどになっています。固形物を食べるまでには成長せずに、いつもミルクばかり飲んでいる赤ん坊のようです。クリスチャン生活のごく初歩の段階を行ったり来たりして、善悪の区別さえおぼつかない状態なのです。

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ALIVEバイブル: 新約聖書

12 あなたがたは、もう長い間イエスの信者として生きてきた。 もうほかの人を教えてもいいころなのに、もう一度、神のことばのイロハから手ほどきしてもらわなければならないほど、だめになっている。 まるで、固形物を食べるまでには成長していないので、いつもミルクばかり飲んでいる赤ん坊のようだ。

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Colloquial Japanese (1955)

12 あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。

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Japanese: 聖書 口語訳

12 あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

12 実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに、再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

12 あなた達は既に十分な時間を与えられ、今度は教える立場にあるべき存在だ。しかし、あなた達は再び最初からレッスンを学び直さなければならない。離乳食なんてまだまだだ!まずはミルクの吸い方を学ばなければならない。

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ヘブル人への手紙 5:12
23 相互参照  

ですから、キリストについての初歩の教えをいつまでも卒業できずに、堂々巡りをするのはやめましょう。もっと理解力を高め、成熟を目指して進みましょう。行いによって救われようとするまちがいや、神を信じる信仰の必要性などを、これ以上聞くには及びません。


すでに主の恵みといつくしみを経験したのですから、乳を求める赤ん坊のように、熱心にみことばを求めなさい。


キリストの教えを心にとめ、そのことばによって、人生が豊かに潤されるようにしなさい。知恵を尽くして、そのことばを互いに教え合い、忠告し合い、感謝にあふれて心から神に向かって賛美しなさい。


息子よ、娘よ、私のことばを聞きなさい。 主だけに頼り、 信じて従うことの大切さを教えよう。


「ああ、なんと不信仰な人たちでしょう。いったいいつまで、あなたがたのことを我慢しなければならないのですか。さあ、その子をここに連れて来なさい。」


「渇いている人がいるなら、金を持っていなくても、 自由に飲みに来なさい。 最上のぶどう酒とミルクと穀物を 無料で持って行きなさい。


エズラは、主の律法を学んで実行し、教師となってイスラエル中に律法を教え広めようと心に決めていました。


アブシャロムは、かつてダビデがそうしたように、アヒトフェルのことばには何でも従いました。アヒトフェルが語ることはすべて、神の口から直接授けられた知恵のように思われたからです。


説教するために選ばれた人は、神があなたを通してじかにお語りになるように語りなさい。人に奉仕するために選ばれた人は、神が下さる力に満たされて人々を助けなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神がほめたたえられるためです。どうか、栄光と力がいつまでもキリストにありますように。アーメン。


しかし公の礼拝の場では、異言で一万語話すよりも、人々に役立つ五つのことばを話すほうが、ずっと良いのです。


もちろん、ユダヤ人であることには多くの利点があります。まず第一に、神はユダヤ人にご自分のことばをおゆだねになりました。それは、彼らに神の御心を知らせ、それを実行させるためでした。


モーセは荒野では、神と人との仲介者でした。すなわち、シナイ山で、神のいのちのことばを天使から受け、それをイスラエルの人々に与える役を果たしたのです。


「ああ、なんと信仰の薄い人たちでしょう。いつまで、あなたがたといっしょにいなければならないのでしょうか。さあ、その子を連れて来なさい。」


愛する皆さん。どんなことが起ころうと、主にあって喜びなさい。このように何度も言いますが、それを私はめんどうとは思いませんし、あなたがたも聞かされたほうがいいのです。


そこで主は、機会あるごとに、 わかりやすいことばで同じことを語りました。 ところがこの簡単明瞭なことばに、 彼らはつまずいて倒れ、足を折り、 罠にかかって捕らえられるのです。


愛する皆さん。こんな道理がわからないような子どもであってはなりません。悪事をたくらむことにかけては、無邪気な赤ん坊でありなさい。しかし、こうしたことを理解する点では、知恵のある大人になりなさい。


キリストが来られるまでは、私たちもそれとよく似た立場にありました。ユダヤ教の戒律や規則によって救われると考えて、その奴隷となっていたのです。


このことについて、まだまだ話し足りませんが、聞く意思がないあなたがたに理解してもらうのは困難です。


あなたがたは、初めてキリストを知った時の祝福された日々を、いつまでも忘れないようにしなさい。また、死ぬほどの苦しみに会いながらも、主と共に戦い抜いてきたことを、いつも心にとめていなさい。


私たちに従ってください:

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