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コリント人への第一の手紙 1:7 - リビングバイブル

7 今、あなたがたは、あらゆる恵みと祝福とを手にしたのです。主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいるこの時、主のお心にかなったことをするのに必要な、あらゆる霊の賜物と力とが、あなたがたには備わっています。

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ALIVEバイブル: 新約聖書

7 あなたがたに欠けている能力はあるだろうか? とんでもない、我らの王たるイエス・救世主が戻るまでに必要な能力はあなたに十二分に与えられている。

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Colloquial Japanese (1955)

7 こうして、あなたがたは恵みの賜物にいささかも欠けることがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れるのを待ち望んでいる。

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Japanese: 聖書 口語訳

7 こうして、あなたがたは恵みの賜物にいささかも欠けることがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れるのを待ち望んでいる。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

7 その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

7 あなたが持っていない才能はあるかい?いや、私たちの王であるイエス・キリストが現れるまでに必要な才能は全て備わっているはずだ。

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コリント人への第一の手紙 1:7
25 相互参照  

しかし、私たちのほんとうのふるさとは天にあるのです。そこには救い主である主イエス・キリストがおられます。私たちは、キリストがそこから迎えに帰って来られるのを、ひたすら待ち望んでいるのです。


その日が来るのをただ待ち望むだけでなく、早めるようにしなければなりません。その日、神は天に火を放たれ、天体は燃えて溶け去ります。


キリストも、多くの人の罪のためにご自身をささげて、一度だけ死なれました。そして、もう一度おいでになりますが、今度は罪を取り除くためではありません。その時は、彼を待ち望んでいるすべての人の救いを完成させるために来られるのです。


いつも神の愛のうちにいなさい。そうすれば、神から祝福がいただけます。永遠のいのちに至らせる、主イエス・キリストの恵みを待ち望みなさい。


愛する人たち。私たちは、もうすでに神の子どもなのです。これから先のことは想像もつきませんが、ただこの一事だけはわかっています。つまり、キリストが再び来られる時、私たちはキリストに似た者となるということです。その時、キリストのありのままの姿を見るからです。


むしろ、その試練によってキリストと苦しみを分かち合えるのですから、喜びなさい。やがてキリストの栄光が現れる時、その栄光を共に受けて、すばらしい喜びを味わうためです。


偉大な神と救い主イエス・キリストとの栄光が現れる日を待ち望むようになることです。


そして、神がお造りになったすべてのものが、神の子どもたちの復活を忍耐と希望をもって待ち望んでいます。


わたしが再び来る時も同じです。その瞬間まで、すべてがいつものとおりなのです。


そうすれば、偉大な羊飼いであるキリストがおいでになる時、朽ちない栄光の冠を受けるのです。


そういうわけですから、あなたがたはこれまで以上の恵みを期待して、イエス・キリストが再び来られる時を、真剣に、身を慎んで、ひたすら待ち望みなさい。


天では栄冠が待っています。正しい裁判官である主が再び来られる日にいただく冠です。もちろん私だけにではなく、主を熱心に待ち望む人々全員に授けられるのです。


そういうわけで、苦難のただ中にある、あなたがたに言っておきます。主イエス・キリストが力ある天使たちを従えて、燃え立つ炎の中に天から姿を現される時、神はあなたがたにも私たちにも、休息を与えてくださるのです。


また、神の子の到来を待ち望む熱心さについて話してくれるからです。この神の子こそ、神が死者の中から復活させたイエスであり、罪に対する神の恐るべき怒りから救い出してくださる、唯一の救い主なのです。


真のいのちであるキリストが再び戻って来られる時、あなたがたも彼と共に輝き、そのすべての栄光にあずかるのです。


ですから、主がまだここにお帰りにならないうちから、何についても性急に結論を下すことがないように注意しなさい。主が来られる時、すべては明るみに出されます。一人一人の心の奥底までが見通され、ありのままの姿がはっきり見えるようになります。その時、一人一人が、ふさわしい賞賛を神から受けるのです。


主人が婚礼から戻るのを待っている人のように。こうしていれば、主人がノックすると同時に、戸を開けて迎えることができます。


神の国は、ランプを持って花婿を迎えに出た、十人の娘(花嫁の付き添い)のようです。


主の救いは確実だ。


私がほかのどの教会の場合とも違って、あなたがたにはしなかったことが一つだけあります。それは、負担をかけなかったことです。食べ物や住む場所のことで、何一つ世話をかけませんでした。この不公平については、どうか赦してください。


そればかりか、私たちクリスチャンでさえ、御霊を自分のうちにいただいて、将来の栄光を先取りしているにもかかわらず、罪からの完全な解放を待ち望んでうめいています。その日には、神が約束してくださった新しい体、すなわち、もはや苦しみも死もない体をいただくのです。


しかし私たちは、キリストの死によってこそ、罪が取り除かれ、神の前で正しい者と認められることを、聖霊の助けによって確信しています。


私たちに従ってください:

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