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ガラテヤ人への手紙 6:1 - リビングバイブル

1 愛する皆さん。もしだれかがあやまちを犯したら、聖霊によって歩むあなたがたは、やさしく謙遜な気持ちでその人を助け、正しい道に立ち返らせてあげなさい。また、自分自身も悪の道に落ち込まないように気をつけなさい。

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ALIVEバイブル: 新約聖書

1 教会のみんな。 1人のイエスの信者がなにか過ちを犯した場合、神の霊に従うあなたがたが、その人を立ち返らせるように。 慎重に手を差し伸べるのだ。 そして、自分も足を踏み外さないよう、心を引きしめなさい。

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Colloquial Japanese (1955)

1 兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。

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Japanese: 聖書 口語訳

1 兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

1 兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

1 教会のみんな! あなた達の誰か1人が過ちを犯した場合には、聖霊に従うあなた達がその人の元に行き、正しい場所へ戻るように助けてあげなさい。細心の注意をして、慎重に手を差し伸べるのだ。そして自分自身も彼らに引きずり込まれることなく、誘惑へと足を踏み外さないように気を引き締めていなさい。

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ガラテヤ人への手紙 6:1
41 相互参照  

何かをする場合、ただ自分の喜びのためにするのはよくありません。それは悪いことではないかと疑問や不安を持つ人を思いやり、そういう弱さを持つ人々の「重荷」を軽くしてあげなさい。そして、人の益になることをし、その人が主にあって成長できるよう支えましょう。


しかし、その人を敵視するのではなく、兄弟に対するように忠告しなさい。


真理に逆らう人たちを、謙遜な心で教えさとしなさい。おだやかに、思いやりをもって話せば、神の助けによって、その人はまちがった考え方を改め、真理を悟るかもしれません。


もし、罪を犯している兄弟を見たら、神に願いなさい。それが取り返しのつかない罪でなければ、いのちを失うことはありません。しかし、死に至る罪があります。そのような罪にはまり込んでいる人に対しては、願っても無意味です。


今はむしろ、赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、あまりの悲しみと絶望に打ちひしがれて、立ち直れなくなるかもしれません。


そして、まっすぐな道を切り開きなさい。そうすれば、たとえ弱くて足が不自由でも、倒れたり、けがをしたりせず、かえって丈夫になるでしょう。


心を動揺させないで、ただ主キリストを信じなさい。もしだれかに、「なぜキリストを信じるのか」と尋ねられたら、いつでもその理由を話せるようにしておきなさい。ただし、おだやかに、真摯な態度で説明すべきです。


あなたがたの仲間に加わりたいという人がいたら、たとえ信仰の弱い人であっても、心を開いて迎え入れなさい。考えが違うからといって批判してはいけません。


ですから、よく注意しなさい。「私は、そんなことは絶対にしないから大丈夫」などと思っている人がいれば、そういう人こそ注意しなければなりません。同じ罪を犯すかもしれないからです。


さあ、あなたがたはどちらを選びますか。私が罰と叱責を持って行くほうですか。それとも、愛とやさしい心とを持って行くほうですか。


また、ことばを制御できる人は、すべての点で自分を完全に制することができる人です。


お願いがあります。このパウロが、キリストにならって、おだやかにお願いします。あなたがたの中には、今も、「パウロは遠く離れていると、ずいぶん強気じゃないか。ところが面と向かうと、大きな声も出せないほど弱気になる」と言っている人がいます。


さらにこう続けました。「聖書に、『わたしが喜ぶのは、いけにえやささげ物ではなく、あなたがたがあわれみ深くなることである』(ホセア6・6)とあります。このほんとうの意味を、もう一度学んできなさい。わたしは、自分を正しいと思っている人たちのためにではなく、罪人を神に立ち返らせるために来たのです。」


預言の賜物や、そのほか聖霊が与えてくださる賜物に恵まれていると自認する人はまず、私の主張が主からの命令であると認めなければなりません。


ですから、互いにこの権利を拒んではなりません。ただ一つの例外があります。ひたすら祈りに専心するため、二人が合意の上で、一定の期間、夫婦生活から離れる場合です。そのあと、二人はまたいっしょになるべきです。それは、自制力の弱さにつけ込むサタンの誘惑を避けるためです。


聖霊をいただいている人は、すべてを見抜きます。ところが、聖霊をいただいていない人は全く理解できないので、まごつき、とまどうのです。


聖霊に従って歩むならいのちと平安があり、古い罪の性質に従って歩むなら死が待っています。


わたしはやさしく、謙遜な者ですから、負いやすいわたしのくびきを、わたしといっしょに負って、わたしの教えを受けなさい。そうすれば、あなたがたのたましいは安らかになります。


良い生き方をする人は、柔和な行いを身につけた、知恵のある賢い人です。


獄中にある人たちのことを忘れてはいけません。その境遇を思って、苦しみを共に分け合いなさい。また、しいたげられている人たちの悲しみを思いやりなさい。あなたがたは、その苦しみがどんなものか経験ずみなのですから。


柔和、自制です。そこには、律法に反するものは何もありません。


ある夕暮れのことです。昼寝から起きたダビデは、宮殿の屋上を散歩していました。見ると、水浴びをしている美しい女性が目に留まりました。


愛する皆さん。私は皆さんに、クリスチャンの生活面について、まるで子どもに語るように書いてきました。実際あなたがたは、主に従わないで、好きかってにふるまっています。そんなあなたがたに、聖霊に満たされた人を相手にしているようには書けないからです。


その瞬間、ペテロは、はっとわれに返りました。「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うでしょう」と言われたイエスのことばを思い出したからです。ペテロは外へ駆け出して行くと、胸も張り裂けんばかりに激しく泣きました。


一方、ペテロは中庭に座っていましたが、一人の女中がやって来て、「あら、あなたイエスといっしょにいた人じゃないの。二人ともガリラヤの人でしょう」と話しかけました。


神を敬う人からのきびしい忠告は、 私を思う心から出たものです。 非難されたように感じても、 私にとって薬となるのです。 私が彼らの非難を拒絶することがありませんように。 私は、悪者どもには警戒を怠らず、 彼らの悪行に対抗して絶えず祈ります。


どうか、私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にありますように。アーメン。 パウロ


愛する皆さん。さらに付け加えます。あなたがたは日々の生活で、どうしたら神をお喜ばせできるかを、すでに知っているはずです。そのために、主イエスの教えを学んだのですから。そこでお願いします。というより、これは主イエスの命令と思ってほしいのですが、どうか、その目標に向かってさらに熱心に励んでください。


ですから、あなたがたが今もどんなに深くその人を愛しているか、どうぞ示してあげてください。


私たちに従ってください:

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