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使徒行伝 3:15 - ALIVEバイブル: 新約聖書

15 そうやっておまえたちは命の創始者イエスを殺してしまった・・・だがな、幸いにも神が蘇らせた!!この目で見た俺たちが証人だ。

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Colloquial Japanese (1955)

15 いのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である。

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リビングバイブル

15 こうして、とうとう、いのちの源である方を殺してしまいました。しかし神様は、この方を復活させてくださいました。ヨハネも私もこのことの証人です。あなたがたが処刑したあと、私たちは確かに、復活したこの方にお会いしたのです。

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Japanese: 聖書 口語訳

15 いのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

15 あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

15 そう!あなた方はいのちを与える方を殺した!だが、神が死からその方を復活させてくれた。私たちはそれをこの目で見た。

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使徒行伝 3:15
29 相互参照  

・・・イエスは死の苦しみを味わったが、神は蘇らせた。そう、“死”でさえもイエスを抑えることは不可能だった!!


いっさいのわざが成し遂げられた。私は初めであり、終わりである。 のどの渇いている者には、生命の泉から水をあげよう。


神が蘇らせたのは紛れもなくイエス。俺たちみんなが証人だ!この目で見た・・・!


栄光を現わすべく、すべてのものを創った神が、自分を信じる者たちを天まで引き上げるため、イエスを苦しみに会わせたのは、正しいことだった。 この苦しみをくぐり抜け、イエスは人を救いに導くにふさわしい、完全な指導者となったのだ。


「最初の人間、アダムには生命“が”吹き込まれた」―― 【聖書:創世記2:7より引用】 しかし、最後の人間、救世主は生命“を”吹き込む。


命を吹き込むのは父さんであり、その権限を一人子にも与えた。


“彼”は生命の源だった。 そしてその生命こそ、全人類の希望の光だった。


神の霊と花嫁は、「来てください」と言っている。 これを聞く人たちは、同じように「来てください」と言うのだ。 のどが渇いている人、すなわち求めている人は、だれでも来なさい。 そして、生命の水を、ただで飲むのだ。


そして、神の一人子が来てくれたおかげで、私たちは真の神を知る力が与えられた。だから今、私たちは、ただ1人の真の神であり、永遠のいのちである神の一人子、イエス・救世主の中にいるのだ。


この体験を通し、自分の完全さを証明し、その上で、自分に従うすべての人に永遠の救いを与える者となったのだ。


地上のすべての人を支配する権力を、俺にくれたのだから。 こうして、あなたから任せられた1人1人に、永遠の命を与えてくれるのだ。


「真理と生命である、俺が道だ!!! 俺を通らずして、父さんのもとに行けるものはいない!!!


俺があげる水を飲めば、二度と渇かない! 枯れない泉が心から湧き上がり、永遠の命へとつながるんだ・・・!!!」


「分かってないな! 神があなたのために用意したものがなにか。 一杯をお願いしているのがだれか。 知っていたら、あなたのほうからお願いし、私は命の水をあげているところだろうな!」


それから天使は、生命の水が流れる川を、見せてくれた。 それは水晶のように透き通り、神と子羊なるイエスとの王座から流れ出て、


私の羊に永遠の命を与えるので、絶対に死にません。私の手の内にいる限り、だれも私の手から彼らを奪うことはできません。


それはイエス・救世主を死から蘇らせ、天にある神の右の座につかせた力だ。


そして、名誉ある神の右の座へイエスを座らせ、天地を統べる救世主とされた!!過ちを改め、神に立ち返って赦される機会をイスラエル中の人へ与えるために、神はこうしたんです!


つまり、洗礼者ヨハネが洗礼を授けていた頃から、イエス様が天に引き上げられるまで、終始俺たちと行動を共にした人の中から1人!俺たち使徒に加わり、イエスの復活の証人にならなければならない・・・!!!」 ・・・おぉっ!一体誰が選ばれるんだっ!


おまえたちはそれを見た“証人だ”!


彼らは2人が、イエスが生涯してきたこと、また死んだはずであるイエスが復活したという知らせを群衆に教えていることに腹を立てていた。


私たちの指導者であり教師であるイエスから、目を離さないように。 イエスは十字架の死のあとの喜びを知って、恥をもいとわず十字架にかかった。 そして今は、神の王座の隣、名誉ある座についているのだ。


私たちに従ってください:

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