Biblia Todo Logo
オンライン聖書

- 広告 -




使徒行伝 21:3 - ALIVEバイブル: 新約聖書

3 北側に見えるのはキプロス島・・・それを横目に、地中海をいざ、シリヤ州に向け舵をとった。 まず、船の積み荷を降ろすべく、港の都ツロに立ち寄った。

この章を参照 コピー

Colloquial Japanese (1955)

3 やがてクプロが見えてきたが、それを左手にして通りすぎ、シリヤへ航行をつづけ、ツロに入港した。ここで積荷が陸上げされることになっていたからである。

この章を参照 コピー

リビングバイブル

3 キプロス島の南を通ってシリヤに向かい、いったんツロに上陸しました。ここで船の積み荷を陸上げすることになっていたからです。

この章を参照 コピー

Japanese: 聖書 口語訳

3 やがてクプロが見えてきたが、それを左手にして通りすぎ、シリヤへ航行をつづけ、ツロに入港した。ここで積荷が陸上げされることになっていたからである。

この章を参照 コピー

Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

3 やがてキプロス島が見えてきたが、それを左にして通り過ぎ、シリア州に向かって船旅を続けてティルスの港に着いた。ここで船は、荷物を陸揚げすることになっていたのである。

この章を参照 コピー

ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

3 私たちは📍キプロス島の近くを航海した。キプロス島が北側に見えたものの、私たちはそこへは寄らず、立ち止まらなかった。その後、シリア州へと進み、港町📍ツロに上陸した。そこで船の貨物を降ろすことになっていたからだ。

この章を参照 コピー




使徒行伝 21:3
22 相互参照  

港の都シドンを発ち、航海は始まった―― ビュー!ザッパーン!ビュー! 「おーい!舵をとれ―!航路を変えるぞー!」 一行は予想外に吹き荒れる向かい風と闘っていた。 (この分だと、キプロス島の航路の方が良さそうだな・・・) 一行は地中海の沿岸をなぞるように進み、風の影響の少ないキプロス島の近くを航行するルートを選んだ。


港湾都市カイザリヤ出身のイエスの従者も数名、旅に加わった。彼らは、初めの頃にイエスの従者になった1人、キプロス人のマナソンの家を宿にと案内してくれた。


世に飢饉がはびこっている中、港の都ツロとシドンは、ヘロデ王からの食糧の支援を必要としていた。その地方は王の国から食糧を得ていたからである。 しかし、ヘロデ王は、ツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていたため、両都市は和解を求める使節団を遣わした。その末、ヘロデ王の側近・ブラストを味方につけることに成功したのだった。


――励ましのバルナバ―― 紹介しよう、その頃イエスの信者たちの中にヨセフという名の男がいた。使徒たちが、励ます者を意して“励ましのバルナバ”と呼んでいた男だ。彼はキプロス出身のレビ人、すなわち外国人だった。


イエスが伝える最高の知らせはシリア地方全土へ広まった。その地方中から様々な病や痛みを抱えている人がイエスのもとへ運ばれた。悪魔に憑かれた人、発作に怯える人、体が麻痺した人などなど。どんな症状であろうと、イエスはごまんといた人たちを完治させた。


この出来事のあとも、パウロはイエスの信者と共に、しばらく港の都コリントにとどまった。 時は流れ―― 港の都コリントへ別れを告げると、次なる目的地シリヤ州へと舵を取った。もちろんプリスカ、アクラ夫婦も一緒に。航海の途中、港町ケンクレヤで神への誓いとして、ユダヤ人のならわしで髪を剃った―― 【髪を剃ること、それは神に対する特別な誓約を捧げた者。すなわち“ナジル人”の誓いのしるしだった】


パウロとシラスは、シリヤ/キリキヤ州を通り、各教会が強く成長するよう助けて回ったのであった。


彼らの意見はぶつかった。 「考えなおせ!」 「いーやマルコは連れて行く!」 両者譲らず、いつのまにか火花が散るほどもめていた。 「い゛ぃぃぃ・・・」 「ぬ゛ぅぅぅ・・・」 「えーい!ならいた仕方ない・・・共に旅するのはここまでだ!!」 「あー名案だ!!」 口論は、2人の旅を決別させるほどにまで発展してしまったのだ・・・。 励ましのバルナバはマルコ・ヨハネを連れ、舵を取ってキプロス島へ――


手紙は彼らに預けられた。 ――手紙―― 兄弟、使徒および長老より 三大都市アンテオケ及び、シリヤ/キリキヤ州に住むすべての外国人兄弟たちへ


港の都セルキヤ―― 励ましのバルナバとサウロは神の霊に導かれ、三大都市アンテオケから港の都セルキヤに下ってきた。そこから船に乗って、地中海に位置するキプロス島に向かうためだ―― 【キプロス島は、ユダヤ人の人口が多く、バルナバの故郷でもあった。面積は9251㎢で、日本の四国、約半分の島だ】


助人七人衆ステパノの殺害から始まった迫害がイエスの信者たちを地方に散らした。 ある者は130㎞以上北に離れたフェニキヤ州へ―― ある者は20㎞以上東に離れたキプロス島へ―― さらにはフェニキヤ州を越え、600㎞以上も東にある三大都市アンテオケにまで逃げた者がいた―― 逃げついた先々で、ユダヤ人のみにではあったものの最高の知らせを伝え続けたのだった。


「ああコラジン町、ベツサイダ村よ。恐ろしい目にあうぞ!!俺が幾度となく起こしたキセキを見てなお、変わろうとしなかった・・・ 滅ぼされた港の都ツロやシドンでもし同じキセキが行われていたなら、彼らでさえ、とうの昔に心を入れ替え、生き方を改めただろうに。 荒布をまとい、灰の上に座ってまで犯した過ちを悔やんだことだろう。


これはクレニオがシリヤ州の総督だった頃に行われた最初の住民登録だった。


「ああコラジン町、ベツサイダ村。恐ろしい目にあうぞ!!俺が幾度となく起こしたキセキを見てなお、変わろうとしなかった・・・ 滅ぼされた港の都ツロやシドンの都でもし、同じキセキが行われていたなら、彼らでさえ、とうの昔に心を入れ替え、生き方を改めただろうに。 荒布をまとい、灰をかぶってでも犯した罪を悔やんだだろうに。


そこに停泊中だった、フェニキヤ州行きの船に乗り替えて出航した。


次にたどり着いたのは、港の都トレマイ―― この町のイエスの従者たちに挨拶をし、1日を共に過ごした。


私たちに従ってください:

広告


広告