Biblia Todo Logo
オンライン聖書

- 広告 -




使徒行伝 15:1 - ALIVEバイブル: 新約聖書

1 三大都市アンテオケ―― ユダヤ地方からやってきたユダヤ人のイエスの信者数名がアンテオケ教会にやって来た。 「つーまーり、モーセの教えどおり、割礼なしに救われることはあーりませんッ!」

この章を参照 コピー

Colloquial Japanese (1955)

1 さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説いていた。

この章を参照 コピー

リビングバイブル

1 パウロとバルナバがアンテオケにいた時のこと、ユダヤから来た人たちが、「古いユダヤの慣習どおり割礼を受けなければ救われない」と教え始めました。

この章を参照 コピー

Japanese: 聖書 口語訳

1 さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説いていた。

この章を参照 コピー

Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

1 ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。

この章を参照 コピー

ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

1 その後、ユダヤ地方からある男たちがアンテオケにやって来た。彼らは信じる仲間たちにこの様に教え始めた。「モーセの教えどおり、割礼を受けていないのなら、救われているとは言えない!」

この章を参照 コピー




使徒行伝 15:1
25 相互参照  

イエス・救世主から永遠のいのちをもらった私たちにとって割礼を受けたかどうか、ユダヤ教の掟を守っているかどうか、など全く関係ない。 私たちに必要なのは、愛によって生まれる神への信頼のみ。


――ガタンッ 「掟に従うよう、伝えるべきです!外国人のイエスの信者にも割礼を!」 こう主張するのは、掟を厳しく守るパリサイ一派のイエスの信者であった。


分裂を図る人の意見に流されることがないように。彼らの意見は、イエスからではなく、悪魔の手先である人間の伝統からきている。


我々の教会から数名が訪れ、発言したことが面倒を起こし、みなさんの気を悪くしたと伺いました。これが、我々の指示でなかったことをここに告げます。


それにも関わらず、モーセに与えられた掟のひとつ、 割礼を休日に施していますね。 では、必要に応じて掟を破っているのはあなたがたです。 休日なのによく赤ん坊に割礼しているではないか。 ――割礼は、モーセの先祖から始まったものである――


それから14年がたち、私はもう一度、神殿の都エルサレムに上った。 その時は励ましのバルナバ、そしてテトスも同行させた。


――「これも一緒に・・・安全な旅を・・・!」 三大都市アンテオケ教会は、600㎞強にもなる旅に備え、必要なものをすべて提供して送り出した。 ―― 【道のり】フェニキヤ州→サマリヤ地方→ 「が、外国人までもが?!」 ユダヤ人でない者までもが真の神を信じて変わったことを道行く町々で伝えながら進んだ。パウロ一行の話しを聞いたイエスの信者たちはというと、それはそれは大喜びであった!


イエスが神殿を破壊して掟を塗り替えるなんて言うのですから!」


というわけで、みなさんの食べ物や飲み物、祭りごと、安息日、ユダヤ人の取り決めなどを人にとやかく言わせないように。


身を乗り出して聞いていた指導者たちの心は躍り、神を讃えた! ――「同志、パウロよ・・・知っての通り、何千というユダヤ人がイエスを信じ始めているが、その多くは未だに掟を徹底すべきだと考えている。


十二使徒や各長老、およびエルサレム教会は、三大都市アンテオケへパウロと励ましのバルナバだけでなく、“エルサレム教会代表”を数名選出し、同行させることを決めた。 選出されたのは次の2名。 ――エルサレム教会代表―― ―バルサバと呼ばれたユダ ―シラス この2人は、エルサレム教会のイエスの従者たちから敬われている指導者であった。


それから数日後―― そこには120人ほどの仲間たちが集まっていた。


手紙は彼らに預けられた。 ――手紙―― 兄弟、使徒および長老より 三大都市アンテオケ及び、シリヤ/キリキヤ州に住むすべての外国人兄弟たちへ


エルサレム教会代表ユダとシラスも預言者であったため、みんなの面前に立った時、また、個人的にもイエスの信者たちを力強く励まし、彼らの確信をより一層強めた。


例の教師たちが何のためにあなたがたに割礼を推して受けさせようとするか、わかるか。 理由は、ただ1つ。すなわち、もっと人気になり、迫害する者たちに叩かれたくないのだ。 つまり、あなたのためではなく、彼らのためなのだ。 救世主の十字架が唯一の救いの道であると認めて叩かれるのが恐いのだ。


私たちに従ってください:

広告


広告