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使徒行伝 13:39 - ALIVEバイブル: 新約聖書

39 掟はあなたの罪を取り除けなかった。しかし、イエスを信じるならその罪悪感から解放される!!

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Colloquial Japanese (1955)

39 信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。

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リビングバイブル

39 イエスを信じる人はみな、すべての罪から解放され、正しい者と宣言されるのです。これは、モーセの律法ではどうしてもできないことでした。

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Japanese: 聖書 口語訳

39 信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

39 信じる者は皆、この方によって義とされるのです。

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聖書 口語訳

39 信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。

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使徒行伝 13:39
40 相互参照  

ある日のこと―― 「先生」 掟の学者がイエスの腕を試そうと立ち上がった。 「どうすれば永遠の命を得られますか?」


「そう、言ったことを実践してください。そうすれば、永遠のいのちはあなたのものだ」


「断言する。この日、神に認められたのは、パリサイ派ではなく、“税金取りだ”・・・!!!」 「思い上がる者は、見下され、腰が低い者は、見上げられる」


すなわち、私たちは預言者モーセをとおして掟を与えられ、 イエス・救世主をとおして、恵みと真理を与えられた。


保証しよう、俺の言うことを聞き、俺を遣わした神を信じる人には、永遠の命がある。 彼らはすでに“死”を置いて、“いのち”へ入ったのだ。


イエスを心底信じる人は誰でも、イエスの名によって過ちが赦される。これにはすべての預言者が同意した・・・!!!」


そう、心の底からイエスを信じることで神に認められ、その確信を公に認めるなら神が救ってくれる。


救世主が来て、掟の目的は果たされた。 今やユダヤ人だろうと、外国人だろうと、救世主を信じるのなら誰でも受け入れられるのだ。


そんなわけで、神のさばきが、ユダヤ人に重々しくのしかかっている。 なぜなら、彼らは神の掟を守る責任があるのに、守らず、こうした悪事にふけっているからだ。 彼らのうち、1人として、申し開きのできる者はいない。 事実、全世界が全能の神の前に沈黙して立ち、有罪の宣告を受けているのだ。


さて、もうわかっただろうか? 掟の命じることを実行し、神に正しい者と認められようとしても無駄なあがき。 私たちが神の掟を知れば知るほど、自分がどれだけ守れておらず、ダメなのかが明らかになるだけだからだ。神の掟はただ、私たちの自己中さを自覚させる。


神の掟を守ることで救われようと努力しても、神の怒りの鉄槌が下されるのがオチ。 なぜなら、神の掟を守ることで受け入れてもらうことは不可能だからだ。 掟を破らないためには、破るような掟を持たないに限る。


私たちのためでもあった。 それは、王・イエスを死人の中から復活させた神の約束を信じる時、神がアブラハムと全く同様に、私たちをも受け入れてくれると保証している。


そう、私たちは、神の約束を信じることによって、認められた。 我らの王なるイエス・救世主をとおして神と平和条約が結ばれたのだ。


神の掟が与えられて人の自己中さは悪化した。 人は自分がいかに神の標準にほど遠い存在か、よくわかるようになったのだ。 しかし、私たちは、自分の自己中さを知れば知るほど、その罪を赦してくれる神の恵みがどんなに大きいのか、いっそうわかる。


救世主が流してくれた血のおかげで、私たちは神と繋がり、神の怒りから、完全に救い出してもらえると確信できる。


だから、今やイエス・救世主に属する人は、死刑宣告から免れているのだ。


神の掟を知っているだけでは、過ちの支配から救い出されることがない。 人間の弱さがゆえに、私たちを救い出すには掟は力足らずだったのだ。 ところが、神は私たちを救うために、別の計画を実行に移された。 つまり、神の一人子を、私たちと同じ体を持つ者として、この世に遣わしたのだ。 そして、彼を私たちの過ちのためのいけにえとした。神は人のいのちを使い、“過ち”に死刑宣告を下したのだ。


ところが、ユダヤ人は、その家族に加わるに値することを示すために、神の掟を一生懸命守る努力をしたというのに失敗に終わった。


みなさんの中にも、そんな過去をもつ人がいる。しかし、王なるイエス・救世主と神の霊のおかげで、今や罪は洗い流され、聖別され、神に認められた。


だが、私たちユダヤ人であるイエスの信者だって、掟を守ったからではなく、ただ罪を取り除いてくれたイエス・救世主を信頼することでのみ、神に認められたのではないか! だから私たちもイエス・救世主を信じたのだ。 それは、掟によってではなく、イエスへの信頼によって神に認められるため。 私がこう断言するのは、掟を守って救われる人など1人もいないからだ!


私は掟によってルールの下敷きになっていた。 私は神のために生きるため、救世主と共に十字架にかかり、心を縛っていた掟は死んだ。


聖書は、神を信じ通した外国人が救われる、この時のことを預言してきた。 神がずっと昔、アブラハムに、 「どこの国の人であろうと、あなたを通して祝福しよう」―― 【聖書:創世記12:3からの引用】 と宣言された時、これを意味していたのだ。


もう一度言おう。割礼を受けて、神の恵みを手に入れるつもりなら、それ以外の掟をも、完璧に守らなければならない。一度でも失敗すれば死あるのみ。


古い条約のもとでは、祭司たちは毎日、祭壇にいけにえをささげるが、それらでは、決して過ちを取り除くことはできない。


雄牛とやぎの血では、実際に犯した過ちを取り除けないからだ。


問題は、モーセの掟では誰も完璧になれなかったことにある。 しかし、今は違う。私たちは、遥かに勝る希望を与えられた。 イエスのおかげで、堂々と神に近づけるのだ!


私たちに従ってください:

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