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使徒行伝 12:3 - ALIVEバイブル: 新約聖書

3 ヘロデ王ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい・・・ (な゛、喜んでいるぞ・・・!) もちろん、喜んだ民衆とは、イエスに反対しているユダヤ指導者たちであった―― 【特にパリサイ派は、ヘロデ党を支持していなかったため、喜んでいる姿を見てヘロデは驚いたのだ】 ヘロデ王はしめたとばかりの表情を浮かべた。 「ペテロも捕えろ!」 「はッ」 ―― 【ヘロデ王は総督だったが、祖父ヘロデ大王の栄光のなごりからそう呼ばれた。ヘロデはローマ帝王からイスラエルを治める権威が与えられており、敵になりかねない新たなナザレ派を鎮圧するため、見せしめとしてヤコブを処刑したのだ】 この一件は、“種なしパン祭”の間に起こったのだった。

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Colloquial Japanese (1955)

3 そして、それがユダヤ人たちの意にかなったのを見て、さらにペテロをも捕えにかかった。それは除酵祭の時のことであった。

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リビングバイブル

3-4 このことでユダヤ人の指導者たちが上きげんになったことを知ると、今度はペテロを逮捕しました。ちょうど過越の祭りの最中だったので、祭りが終わりしだい処刑のためにユダヤ人に引き渡すつもりで牢に入れ、十六人の兵士に監視させました。

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Japanese: 聖書 口語訳

3 そして、それがユダヤ人たちの意にかなったのを見て、さらにペテロをも捕えにかかった。それは除酵祭の時のことであった。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

3 そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

3 ユダヤ指導者たちがこの方針を好んでいることを知ったヘロデ王は、ペテロも逮捕することにした。これは酵母菌なしパン祭りの間に起こった。

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聖書 口語訳

3 そして、それがユダヤ人たちの意にかなったのを見て、さらにペテロをも捕えにかかった。それは除酵祭の時のことであった。

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使徒行伝 12:3
18 相互参照  

さて、種なしパン祭の初日―― イエスの仲間が何やら尋ねにきた。 「イエスのために過越の食事を用意したいんだが、食事はどちらで?」


神に好かれる以上に、人に好かれたかったのだ。


「いや、神から与えられた権限でなければ、あなたには何の手出しもできない。ですから、私をあなたに引き渡した者はとんでもない過ちを犯したのです」


「若かった時は、したいことをし、行きたい所に行っただろう。だが、年をとると、そうはいかなくなる。おまえは自分の手を伸ばし、ほかの人が、行きたくもない所へあなたを引っ張って行くのだ」


とばっちりで牢獄に入れられたにもかかわらず、岩のペテロは、厳重な監視のもとに置かれた。看守たち4人1組のグループを4つ作り、交代制で完全な監視体制を整えた。 (にひひひ、貴様の命も祭明けまでだぞぃ・・・) ヘロデ王は岩のペテロを公開裁判にかけて処刑してやるつもり満々だったが、“種なしパンの祭”が終わるまでは待とうと考えていた。


すたすた・・・ 驚く人たちを前に立ちあがったのは、岩のペテロと他11人の使徒だ。 「ユダヤの同士よ〰〰〰!!!エルサレムに住むみなさん、重大なお知らせがあります・・・よく聞いてください!


掟のしきたりにのっとって、種なしパン祭を祝い終わると、私たちは都ピリピの港を出発した。5日後には港町トロアスで下船し、7人の仲間と落ち合うと、そこに7日間滞在した。


月日は流れ、2年が経った―― ペリクス総督はポルキオ・フェストを後継者にし、ユダヤ地方を離れる事になった。 ペリクス総督は、ユダヤ人の支持を失わないようにパウロを拘束したままにしておいた。


「どうだね?パウロよ。エルサレムで裁判をしないか?もちろん、私の名で行わせてもらおう」 フェスト総督は、ユダヤ人の支持を得るためにそう話した。


シ―――ン 「・・・おおお・・・」 イスラエル国を引っ張る権力者たちを目の前にしても、あまりに勇ましく語る2人に、そこにいた議員たちでさえもタジタジの様子であった。しかも彼らは明らかに教育を受けているようにも、掟の先生のようにも見えなかったため、イエスと共にいたがゆえに、こうも立派で弁が立つのだと認めざるを得なくなったのだ。


厳しいと思うか。ああ、私は彼らのように甘いことばやお世辞で、人気を得るつもりなど毛頭ない。人気を得たいなら、救世主の家来にはならん。人にではなく、神に認められるために、私は生きている。


私たちは、ただ、神に任命されたから伝えたのだ。 そして、この任務に私たちがふさわしいかどうか神に試され、信頼に値されることを確認されたからこそ任命してくれたのだ。 つまり私たちが語るのは、神の喜ぶことのみ。 だからこそ、人の好みに合わせて内容を変えることなど決してない。 私たちの心は神が見すえている。


私たちに従ってください:

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