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ローマ人への手紙 8:35 - ALIVEバイブル: 新約聖書

35 では、いったいだれが、私たちを救世主の愛から引き離せる? 困難や災難、また、迫害が引き離すことはできるのか? また、飢えや破産、危険や死が引き離すことができるのか?

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Colloquial Japanese (1955)

35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。

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リビングバイブル

35 では、いったいだれが、私たちをキリストの愛から引き離すことができるのでしょうか。災難や苦しみ、迫害ですか。飢えや貧乏、あるいは危険や剣ですか。

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Japanese: 聖書 口語訳

35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

35 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

35 では、いったいどこの誰が、どんな人が私たちをキリストの愛から引き離せるのか?困難や災難、また迫害が引き離すのか?飢えや破産、危険や死が私たちを引き離すことができるのか?

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ローマ人への手紙 8:35
35 相互参照  

私の羊に永遠の命を与えるので、絶対に死にません。私の手の内にいる限り、だれも私の手から彼らを奪うことはできません。


お前たちも、心配せずに、安心するんだ。こんなにも、念には念を入れて話したのは、そのためなのだから。 確かに、この世では苦難や悲しいことが山ほどある。でも、勇気を出せ!わたしはすでに世に勝ったのだ!!!」


今の私たちの試練は、永遠の栄光と比べれば、束の間であり、取るに足りないものだ。 また、この試練が永遠の財産を増し加えてくれている。


あるいは、私たちがどこにいようと、たとえ空高くのぼっても、地の果てまで行こうとも、私たちの王なるイエス・救世主によってはっきり示された神の愛から、私たちを引き離せるものは、何一つないのだ。


そして、その任務が与えられたが故に、私はいま獄中で苦しんでいるのだ。 しかし、それを少しも恥とは思わない。 なぜなら、自分がだれを頼りにしているのかをよく知り、またその方は、任せたものをすべて、再び戻るその日まで安全に守ってくれると確信しているからだ。


今の今まで、私たちは飢えと渇きに悩まされ、寒さをしのぐ着物さえ無かった。 自分の家もなく、どこへ行っても、冷たくあしらわれ、粗末に扱われることもしばしば。


そして、私たちは神の子どもなのだから、神の財産を分け前にあずかる。 神が一人子・イエス・救世主に与えたものは、今では私たちのものでもあるからだ。 しかし、私たちが神の一人子の栄光を共に受けるのなら、当然、その苦難をも受けなければならない。


過越祭の前に、イエスは、いよいよ、この世を去って父のもとに帰る最後の時が来たと覚悟を決め、仲間たちを最後まで徹底的に愛した。


どうか、私たちを愛し、永遠の安らぎと希望を与えてくれた我らの王イエス・救世主と父なる神が、


各都でできた仲間とは時間を過ごし、ますます神を愛し、親交を深め、 「神の王国への道のりは険しくなければならない・・・」 と教えたのだった。


そして、忠誠を尽くした証人、イエス・救世主から。 このイエス・救世主は、死人の中から一番最初に復活されたお方だ。 地上のどの王よりも天と地の差で勝る王であり、私たちに変わらぬ愛を注ぎ、人生が有罪だった私たちを無罪放免にするため、自らの血を流してくれた。


痛みと苦しみは、道を外したまま生きる人の背を追いかける。 初めにユダヤ人を襲い、それから外国人を襲う。


しかし、こうした中にあっても、私たちを愛してくれたイエスによって、圧倒的な勝利を得るのだ!


また、生活のために、自ら汗水流して働いた。私たちをのろう人たちを反対に祝福し、危害を加えられても耐え忍び、


私たちは四方八方から苦しめられ、圧迫されるが、押しつぶされ、打ちのめされることはない。 「どうしてこんなことが・・・」 と途方にくれるようなことが起きても、絶望して投げ出したりはしない。


迫害されるが、神は見捨てはしない。 時には打ち倒されるが、滅んではいない。


すべては救世主のためであることを知っているので、その“とげ”も、侮辱も、苦しみも、迫害も、困難も、大いに喜んでいる。 なぜなら、弱い時にこそ、私は強いからだ。無力であればあるほど、それだけしっかりと、救世主によりすがるようになるからだ。


さらに、それを身をもって経験できるように。 もっとも、この愛はあまりにも大きいので、それを見極め、完全に把握することは、とても不可能だが。 こうして、あなたがたはついに、神自身によって満たされるのだ。


私たちに従ってください:

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