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ローマ人への手紙 8:1 - ALIVEバイブル: 新約聖書

1 だから、今やイエス・救世主に属する人は、死刑宣告から免れているのだ。

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Colloquial Japanese (1955)

1 こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。

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リビングバイブル

1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスに属する人が罪の宣告を受けることはありません。

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Japanese: 聖書 口語訳

1 こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

1 従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

1 だからこそ、今やイエス・キリストに属する人は誰であっても死の判決を受けることはない!

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聖書 口語訳

1 こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。

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ローマ人への手紙 8:1
32 相互参照  

俺が復活する時、おまえたちは、父さんの中に俺がいて、俺の中におまえたちがいて、またおまえたちの中に俺がいることがわかるようになる!


俺のうちに生きるよう心がけろ。また俺が、おまえたちのうちに生きられるようにするんだ。枝は幹につながっていなければ、実を結べないのと同じようにおまえたちも、俺から離れたら、実を結ぶことなどできない。


保証しよう、俺の言うことを聞き、俺を遣わした神を信じる人には、永遠の命がある。 彼らはすでに“死”を置いて、“いのち”へ入ったのだ。


プリスカとアクラによろしく。この夫婦は、私の同労者として、イエス・救世主のために働いてきた。


それから、私の親類で、私と共に投獄されたこともあるアンドロニコとユニアスがそちらにいる。 彼らはみなから尊敬された使徒たちであり、私よりも先にイエスの信者になった人たちだ。 どうぞ、この2人にもよろしくと伝えてくれ。


そう、私たちは、神の約束を信じることによって、認められた。 我らの王なるイエス・救世主をとおして神と平和条約が結ばれたのだ。


アダムが犯した1つの過ちで死刑宣告されたが、救世主は、無償で過ちを赦し、すばらしい生命をあたえてくれるのだ。


それをしているのは、もはや私ではないのだ。 悪を行なわせるのは、私のうちに住みついている過ちなのだ。


自分ではしたくないことをしているとすれば、それをしているのは、私ではない。 つまり、私に住みついている過ちの力がしているのだ。


神がイエスを復活させた。そして神の霊が、みなさんのうちに住んでいるのなら、神は、この同じ神の霊によって、死後も、あなたがたの滅ぶべき体を復活させてくれるのだ。


神の霊によって導かれる者はだれでも、神の子どもだからだ。


なぜなら、イエス・救世主は生命を与える神の霊の力で、過ちと死の力から私を解放してくれたからだ。


私たちが有罪だと、いったい誰が言える? 存在しえない! イエス・救世主は、私たちのために死んでくれたのだから。 そして何より、蘇って天で、神の右の最も名誉ある座で、私たちを弁護してくれているのだぞ!


あるいは、私たちがどこにいようと、たとえ空高くのぼっても、地の果てまで行こうとも、私たちの王なるイエス・救世主によってはっきり示された神の愛から、私たちを引き離せるものは、何一つないのだ。


だから、今や私たちは、神の霊に従って歩むのなら、神の掟に従えるのだ。 そしてもはや、古い邪悪な性質の言いなりになることも無いのだ。


しかし、あなたがたはそうじゃない。もし神の霊が、みなさんのうちに住んでいるなら、神の霊に支配されている事になる。 もしその人のうちに神の霊が住んでいないなら、その人はイエスの信者、つまり救世主に属している者ではない。


というのは、みなさんをイエス・救世主に繋げたのは神であり、救世主が私たちに与えられた神からの知恵となったのだ。 イエスのおかげで、神に認められ特別な者とされ、罪から解放されたのだ。


人はみな、罪深いアダムの子孫として、その血縁のために、死ななければならない。 過ちのあるところには、その結果として、死もあるのだ。 しかし、救世主と血縁関係にある者はみな、やがて復活する。


14年前、私は天に引き上げられた男の聖なる幻をみた。私なのか、それとも誰かの魂を見ただけなのか、なんてことは、聞かないでくれ。私にはわからない。


だれでも、イエスの信者になると、神によってその世界が新しくされる。今までの世界観はなくなり、新しいものを得る。


ところが、私たちが自分の過ちのゆえに受けなければならなかった呪いを救世主が代わりに受けてくれたのだ。 そして、滅びる以外にない状態から、私たちを救い出してくれた。 「木にかけられる者はだれでも、呪われる」―― 【聖書:申命記21:22-23より引用】 と聖書にあるとおり、イエスは十字架にかかってくれたのだ。


それは私たちがみな、信じることによってイエス・救世主に属し、神の子どもとなったからだ。


もはや、ユダヤ人とギリシヤ人、奴隷と自由人、男と女というような区別はない。 みな同じイエスの信者であり、イエス・救世主にあって1つなのだ。


だから強く勧める。ただ神の霊の導きに従うのだ。 神の霊は、どこへ行くべきか、何をなすべきか教えてくれる。 そうすれば、人間の性である自己中心的に生きることがなくなる。


もし私たちが今、神の霊の力を受けて生きているなら、生活全般に渡って、その導きに従おうではないか。


港の都エペソにいる神の人たち、イエス・救世主に属すイエスの信者達へ―― 【ギリシャ語の写本には、“港の都エペソにいる”という言葉が入っていない。またこの手紙は港の都エペソ以外の周りの町々にも宛てられたと考えられる】 神に選ばれし、イエス・救世主の使徒パウロより


救世主を信じたから神と結ばれたのであって、善人だからではない。私の救世主のみへの忠誠心を使って、神が結びつけてくれたんだ。


私たちに従ってください:

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