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ローマ人への手紙 3:4 - ALIVEバイブル: 新約聖書

4 とんでもない! たとえ世界中の人がうそつきであっても、神は違う。 このことについて、聖書の詩篇にこうある。 「🎼神のことばに誤りはない。 だれが疑おうとも、いつも真実で正しい」―― 【聖書:詩篇51:4より引用】

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Colloquial Japanese (1955)

4 断じてそうではない。あらゆる人を偽り者としても、神を真実なものとすべきである。それは、「あなたが言葉を述べるときは、義とせられ、あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」と書いてあるとおりである。

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リビングバイブル

4 絶対にそんなことはありません。たとえ世界中の人がうそつきでも、神は真実な方です。このことについて詩篇には、「神のことばに誤りはない。だれが疑いを差しはさもうと、いつも真実で正しい」と書いてあります。

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Japanese: 聖書 口語訳

4 断じてそうではない。あらゆる人を偽り者としても、神を真実なものとすべきである。それは、 「あなたが言葉を述べるときは、義とせられ、 あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」 と書いてあるとおりである。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

4 決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。 「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、 裁きを受けるとき、勝利を得られる」 と書いてあるとおりです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

4 とんでもない!たとえ全人類が約束を破ったとしても、神は自らが言ったことを必ずやり通す!このことを聖書でもこう言っている。 「♪神が真実で正しいことは証明される。 人が言いがかりをつけようが、あなたが勝利する」——【詩篇51:4より引用】

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聖書 口語訳

4 断じてそうではない。あらゆる人を偽り者としても、神を真実なものとすべきである。それは、/「あなたが言葉を述べるときは、義とせられ、/あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」/と書いてあるとおりである。

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ローマ人への手紙 3:4
33 相互参照  

“この人”が飲み食いすると、『あの大食いの酒豪は、税金取りや悪党と同類だ』と言いだす。だが、正しいか正しくないかはその実によって証明される!!!」


ぶどう園にすっ飛んでいって農夫たちを殺し、他の人を雇うだろう」 「そんなのあんまりだ!」 「こんなことがあってはならない!」 例え話を聞いた群衆はそう口にした。


あの方のことばを信ずる者、神さんが真理の源だと認めた証拠。


では神は自分の民であるユダヤ人を退け、見捨てたのだろうか? とんでもない! この私もユダヤ人であり、アブラハムの子孫、ベニヤミン族の1人であることを、忘れないでもらいたい。


これは、神がご自分の民であるユダヤ人を退けてしまったことを意味するのだろうか? とんでもない!神の目的は、このことによって神の救いが外国人にも及ぶこと。その結果、ユダヤ人がねたみ、自分でも救いを求めるようになることにあったのだ。


それでは、神を信頼することで済むなら聖書のことばに従う必要はないのか? むしろその逆。 実際、私たちはイエスを信じきってこそ、ほんとうの意味で聖書の教えに従うことができるのだ!


それならどうしたらいいのか? 掟の下ではなく、恵みの下にいるのだから、過ちを犯し放題、やりたいことをやりまくれることになるのか? とんでもない!


とんでもない!昔歩んだ自己中な人生は終わったのだ。 過ちを犯す人生が死んだというのにどうやって自己中に生き続けられる?


では良いものが私を死においやったことになるのだろうか? とんでもない! 良い掟をもちいて、私を死においやったのは罪だ。 罪がどんなにずる賢く、恐ろしく、いまわしいものか、わかるだろう。 良い掟を使ってここまで悪どいことができるのだから。


私が、神の掟を悪いとでも言っていると思うか? とんでもない! 掟が悪いわけじゃあない。私は掟によってなにが悪いのかが分かるようになった。 もし、 「心に邪悪な欲望をいだいてはならない」―― 【聖書:出エジプト記20:17、申命記5:21より引用】 という掟がなければ、私は、自分の心にある過ち、すなわちそこに潜んでいる邪悪な欲望に気づかなかっただろう。


では、神は不公平なのか? とんでもない!


みなさんの体は、事実、救世主の体の一部であることが、わからないのか! 救世主の体の一部と売春婦とを結びつけてもいいのだろうか?いいわけないだろ!


我々がそんな人間でないことは、神の真実さと同様に確かに示した。 我々の“はい”は、ほんとうに“はい”なのだ。


しかし、もし、救世主と築いた関係に信頼をおく私たちが、あとになって、それは間違いだった、やっぱり掟を守らなければ救われない、仮にそうなったとしたらどうなる? 救世主を信じたおかげで、意味もなくさんざんな目に会ったことになるわけだ。 そう言うわけで掟の代わりに救世主に従う事で外国人の罪人だと思われるなら、それでよし。しかしながら救世主は私たちを過ちに導いているなんて、ありえない話なのだ!


私は、神の恵みである救世主の死をムダにはしない。 もし私たちが、掟を守ることで救われることができるのなら、救世主は無駄死にだ!」


そんなことを私は死んでも自慢したくない。 私に自慢できるのは、王なるイエス・救世主の十字架のみ。 この十字架のおかげで、人に認められようとする昔の自分は死んだ。 世の中の洗脳から解放されたのだ。


そう、神に誉れをもたらす人生の秘密を神は示してくれた。 私たち全員が同意できる真理だ。 人として来た救世主 その正体は神の霊によって証明され 天使たちを従わせ、 彼のメッセージは世界へ広まった 世界中の人が信じ 栄光に輝き、天へと引き上げられた。


それは偽りなき神が、時の始まる前から約束した永遠の命にもとづいた人生。


神は、約束と誓いの両方を与えてくれた。この2つは、全面的に信頼できる。 神は嘘をつかないからだ。 その為、救いを求めて神のもとに逃れて来る人たちは、確かな保証をもらって、新たな勇気を奮い起こすことができる。 そして、神の救いの約束を、少しの疑いもなく信じられるのだ。


誰でも、神の一人子を信じる者は、神の証言を信じた者。だが、神が証言した一人子だというのに、彼を信じないのなら神を嘘つき呼ばわりしているのだ。


そして、神の一人子が来てくれたおかげで、私たちは真の神を知る力が与えられた。だから今、私たちは、ただ1人の真の神であり、永遠のいのちである神の一人子、イエス・救世主の中にいるのだ。


都市フィラデルフィヤにある教会の指導者に、次のようなメッセージを送りなさい。 ――メッセージ―― このメッセージは、きよく真実な方、ダビデのかぎを持つ方からのもの。 この方が、そのかぎで開くと、だれも閉じることができず、閉じると、だれも開くことはできない。


私たちに従ってください:

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