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ローマ人への手紙 3:30 - ALIVEバイブル: 新約聖書

30 神はすべての人を平等に扱う。 ユダヤ人だろうと外国人だろうと、人はみな、神を信じとおすなら、無罪とされるのだ。

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Colloquial Japanese (1955)

30 まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。

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リビングバイブル

30 神はすべての人を全く平等に扱われます。ユダヤ人であろうと外国人であろうと、人はみな、信仰によって救われて正しい者とされるのです。

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Japanese: 聖書 口語訳

30 まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

30 実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

30 神の存在は、ただ1人しかいないからだ!割礼を受けているユダヤ人だろうと外国人だろうと、人はみな、神を信じる信仰によって正しい者と認められる!

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ローマ人への手紙 3:30
18 相互参照  

聖書は、神を信じ通した外国人が救われる、この時のことを預言してきた。 神がずっと昔、アブラハムに、 「どこの国の人であろうと、あなたを通して祝福しよう」―― 【聖書:創世記12:3からの引用】 と宣言された時、これを意味していたのだ。


しかし、神が約束を与えたとき、仲介者はいなかった。神の家族の間に仲介者はいらないからだ。


生まれや育ち、資格や経験など自分の力は、救いのあてにはならない。 神の霊を通して神を讃える私たちこそが救われた神の子! いいか、イエスの信者が誇れることは、イエスの仲間であること以外ない。


割礼を受けているかいないかは、今や、全く問題ではない。 問題は、私たちがほんとうに神の作った新しい世界の住人となれるのかどうかである。


イエス・救世主から永遠のいのちをもらった私たちにとって割礼を受けたかどうか、ユダヤ教の掟を守っているかどうか、など全く関係ない。 私たちに必要なのは、愛によって生まれる神への信頼のみ。


もはや、ユダヤ人とギリシヤ人、奴隷と自由人、男と女というような区別はない。 みな同じイエスの信者であり、イエス・救世主にあって1つなのだ。


つまり、私たちの行い、またはすべての掟を守ることによってではなく、イエスへの信頼によって救われるのだ。


外国人が“神のことば”に従うなら、ユダヤ人と立場は変わらない。


聖書の知識があまりない外国人が、神の意志に従っている。それにより聖書に精通しておいてなお、聖書に反するユダヤ人の罪深さがいっそう明らかになった。


神が善良で義理堅いことは、イエス・救世主を信頼することで明らかになった。どこの誰であろうと、救世主を信じ抜くものは救われるのだ。


この祝福は、イエスを信じた上に、さらに掟をも守っている人にだけ与えられるのだろうか? それとも、掟は守らなくても、ただイエスを信じてさえいれば与えられるのだろうか? アブラハムがどうだったか見てみよう。 「アブラハムは神を信じきったことによって祝福された」 と言われている。それは、ただ神を信じただけだったのだろうか? それとも、掟も守ったからなのだろうか?


というわけで、神からの祝福は、無償の贈り物として、神に確信をもつことで与えられるのだ! 掟に従うか否かに関係なく、信仰の父アブラハムと同じ信頼を神に抱くもののためにある約束だ。


神と人間とは、それぞれ別の岸に立っている。そして、人であるイエス・救世主がその間に立ち、仲介人となってくれた。


私たちに従ってください:

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