Biblia Todo Logo
オンライン聖書
- 広告 -




ローマ人への手紙 1:16 - ALIVEバイブル: 新約聖書

16 というのも、最高の知らせを伝えることを私は少しも恥とは思っていないからだ。 それは“信じる人”をだれでも救う神の力が宿っているからだ。 最初は、ユダヤ人だけに伝えられていたが、 今では、すべての人が同じように、この方法で神のもとに招かれているのだ。

この章を参照 コピー

Colloquial Japanese (1955)

16 わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。

この章を参照 コピー

リビングバイブル

16 私は、この福音を少しも恥じてはいません。福音は、それを信じる人をだれでも天国に導く、神の力ある手段です。福音は最初、ユダヤ人だけに伝えられていました。しかし今では、すべての国の人が同じ方法で神のもとに招かれているのです。

この章を参照 コピー

Japanese: 聖書 口語訳

16 わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。

この章を参照 コピー

Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

16 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。

この章を参照 コピー

ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

16 というのも、私は最高な知らせを伝えることに、ほんの少しの恥も抱いていないからだ。ほんの少しもだ!なぜなら、そこには力が宿っている。信じる全ての人たちを救ってくれる神の力だ!最初、この知らせはユダヤ人だけのものであった。しかし今は違う!ユダヤ人だけではなく、ユダヤ人以外の全ての人のためにもある。

この章を参照 コピー

聖書 口語訳

16 わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。

この章を参照 コピー




ローマ人への手紙 1:16
38 相互参照  

おまえたちは、神に不忠実で過ちだらけな世の中にいる。だがいいか、そんな中でもこの俺と俺の教えを恥らわないように。もし恥らうなら、“この人”、すなわち俺が父さんの栄光をおび、天使の軍勢を従えて戻る時、俺はその人を“恥じる”・・・!!!」


俺と俺の教えを恥ないように。もし恥るなら、“この人”、すなわち俺と、父さんの栄光をおび、天使の軍勢を従えて戻る時、俺はその人を“恥じる”・・・!!!


このことばに、ユダヤ指導者たちはすっかり面食らいました―― 「この男は、いったいどこへ行くつもりでしょう。ユダヤ人が住む、外国にでも雲隠れするのでしょうか。ひょっとして外国人さえ教えるつもりでは。


神は、ご自身の使者であるイエスを復活させたあと、おまえたちイスラエルの民へ真っ先に遣わした。おまえたちを誤った生活から引き戻し、豊かに祝福するためだ・・・!!!」


最高な知らせを聞いて初めて、イエスに対する信頼が生まれ、 救世主を伝えて初めて、最高な知らせを耳にできる。


神の霊がキセキや神業を行うことによって、私は、神殿の都エルサレムからイルリコ州に至るまで、救世主についての最高の知らせを、くまなく伝えた。


私が訪問するときになれば、救世主のおかげでお互いに最高な時間を過ごすことになると信じている。


痛みと苦しみは、道を外したまま生きる人の背を追いかける。 初めにユダヤ人を襲い、それから外国人を襲う。


アブラハムが神に認められたのは割礼を受ける前だ。 後になってはじめて、神に“認められた”ことのしるしとして割礼を受けた。 だからこそ、アブラハムは、掟に従う道ではなく、信頼して救われる道を歩む人の“信仰の父”なのだ。 つまり、アブラハム同様、神への信頼関係で救われることができるのだ!


もし初めにいい加減な気持ちでその最高の知らせを信じたのでなく、今もなお、それを堅く信じているのなら、この最高な知らせは、あなたがたを救ってくれるのだ。


なぜなら、イエス・救世主と、その十字架上の死以外は語るまい、と決心したからである。


私はカッコつけたことばを使って、知的な好印象を与えようとしたことはない。 わたしの教えは、学のあることばや賢い議論ではなかった。しかし、神の霊が与えてくれる力が、わたしの教えの信ぴょう性を証明した。


ほかの人たちは、みなさんの間で働いているからこの援助を受ける権利がある。そうであれば、私たちにももらう権利があるのは確かでしょう。 だが、その権利を使ったことはない。みなさんが救世主についての最高の知らせに従うことを妨げないよう、必要をすべて自分たちでまかなうのだ。


このような状況で、私の受ける報酬とはどんなものだろう。 自分の権利を少しも主張せずに、無償で最高の知らせを伝え広めることから来る最上の喜び、これこそ、私の報酬だ。


さて、私がエーゲ海の港町トロアスまで行った時、イエス様は最高の知らせを宣べ伝える、絶好の機会を与えてくれた。


それは、この邪悪な世の王である悪魔王のしわざだ。 目隠しをし、その人の上に輝いている最高の知らせと栄光を、見えないようにする。 また、まことの神、救世主の栄光に関する、私たちのすばらしい証言を、理解できないようにしているのだ。


援助を受けた人たちは、自分たちや他の人たちに対する気前のよい贈り物に大喜びするだけでなく、みんなが教えに忠実に行動している証拠を見て、神をあがめることだろう。


救世主についての真理をゆがめ、あなたがたを惑わしている人たちがいることは知っている。 あなたがたが耳にしている知らせは、最高の知らせではなく、悪い知らせだ。


私たちは、神に感謝せずにはいられない。 それは、私たちが最高な知らせを伝えた時、私たち人間の考えと見なさず、神のことばとして受け入れたからだ! 事実、これは神のことばであって、信じる者の生活を一変させる!


この教えは、私が伝えるべく、最も偉大な神が与えてくれた最高の知らせに含まれる。その中に私たちは神の栄光を見るのだ。


そして、その任務が与えられたが故に、私はいま獄中で苦しんでいるのだ。 しかし、それを少しも恥とは思わない。 なぜなら、自分がだれを頼りにしているのかをよく知り、またその方は、任せたものをすべて、再び戻るその日まで安全に守ってくれると確信しているからだ。


どうか、イエス様がオネシポロとその家にいるみなを恵まんことを。 彼は、たびたび私を訪ね、励ましてくれた。 しかも彼は、私が獄中にいたことを、少しも恥じてはいなかった。


だから、人前でこの我らが王・イエスについて語るのをためらったり、神のために牢獄につながれている私のことを、恥じたりするな。 それどころか、この苦しみの中をも共に進もう。 神は、苦しみの真っ只中にあっても、力を与えてくれるのだから。


神のことばは生きており、力がみなぎっている。 それは、どんな研ぎ澄まされた刀よりも切れ味がよく、心の奥深くに潜んでいる思いや欲望、脊髄、魂にまでメスを入れ、私たちの赤裸々な姿をさらけ出す。


しかし、イエスの信者であることが理由で苦しみを受けるなら、恥じることは何もない! 最も偉大な名、イエスの仲間扱いされたのなら名誉だ!ほら神を讃えろ!


私たちに従ってください:

広告


広告