Biblia Todo Logo
オンライン聖書
- 広告 -




ピリピ人への手紙 3:18 - ALIVEバイブル: 新約聖書

18 というのは、今まで注意してきたとおり、イエスの信者と言いながら、救世主の十字架に敵対している者が大ぜいいるからだ。 これを改めて注意しなければならない現状に涙を流さずにはいられない。

この章を参照 コピー

Colloquial Japanese (1955)

18 わたしがそう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。

この章を参照 コピー

リビングバイブル

18 というのは、今までも、しばしば語ってきたことですし、今また、涙ながらに訴えたいのですが、クリスチャンとして歩みながら、実はキリストの十字架に敵対している者が多くいるからです。

この章を参照 コピー

Japanese: 聖書 口語訳

18 わたしがそう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。

この章を参照 コピー

Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

18 何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。

この章を参照 コピー

ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

18 キリストの十字架に敵対する者は大勢いる。私はあなた達にしつこくそのことを話しているはずだ。毎回その話をするたびに、私はこの現状に涙を流さずにはいられない。

この章を参照 コピー

聖書 口語訳

18 わたしがそう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。

この章を参照 コピー




ピリピ人への手紙 3:18
30 相互参照  

神殿の都エルサレムが一望できる場所にたどり着いた。 ぽとっ、ぽとっ 「!」 目下に広がる街をながめるイエスの瞳から涙がこぼれていた――


ユダヤ人たちの陰謀には悩まされ、時には涙を流しながらでも、自分ではなく王・イエスを第一に考えてきたことを。


私の心が絶え間ない悲しみと痛みに覆われているということ。


「イエスは私たちを救うために十字架で死んでくれた」 ということばが、滅んでゆく人たちにはどれほどバカらしく響くか、私にはよくわかっている。 しかし、救われている私たちは、これが神の力そのものであると認めるのだ。


だまされるんじゃない。人に対して過ちを犯す者が神の王国に入れないのは当然だ! 性的欲求に溺れる者や同性愛にふける者、偶像を拝む者、結婚相手以外とセックスする者は、神の王国を相続できない。


彼らは、決して神から遣わされた者ではない。 人をだまして、てっきり救世主の使徒だと思い込ませるぺてん師だ。


倒れている人を見て、知らん顔ができるだろうか。 過ちへ誘惑され、傷ついた人を見て、胸が痛くならないだろうか。


どんなにつらい思いであの手紙を書き記したことか! 胸も張り裂けんばかりの思いで、正直なところ、泣いてしまったのだ。 傷つけるつもりなどさらさらない。あなたがたをどれほど愛しているか、また、みんなの間で起こった問題をどんなに心にかけているか、ぜひ知ってもらいたかったのだ。


救世主についての真理をゆがめ、あなたがたを惑わしている人たちがいることは知っている。 あなたがたが耳にしている知らせは、最高の知らせではなく、悪い知らせだ。


私はそれを見て、彼らが最高な知らせの真理をつらぬいてないことを知った。 そこで、みんなを前にして岩のペテロに言った。 「あなたはユダヤ人だが、もうかなり前から、掟に束縛されずに生きてきたではないか。そのくせ、どうして急に、ここの外国人にそれを守らせようとする!


私は、神の恵みである救世主の死をムダにはしない。 もし私たちが、掟を守ることで救われることができるのなら、救世主は無駄死にだ!」


ねたみ、人殺し、酒に溺れる事、どんちゃん騒ぎ、そんなあらゆる種類のものだ。 前にも言ったが、今一度警告しよう。 そんな生活を続ける者は、王たる神の子どもではない。


例の教師たちが何のためにあなたがたに割礼を推して受けさせようとするか、わかるか。 理由は、ただ1つ。すなわち、もっと人気になり、迫害する者たちに叩かれたくないのだ。 つまり、あなたのためではなく、彼らのためなのだ。 救世主の十字架が唯一の救いの道であると認めて叩かれるのが恐いのだ。


そんなことを私は死んでも自慢したくない。 私に自慢できるのは、王なるイエス・救世主の十字架のみ。 この十字架のおかげで、人に認められようとする昔の自分は死んだ。 世の中の洗脳から解放されたのだ。


そこでイエス様に語られたことを伝えよう。いや、警告する。 今後、もはやイエスを信じない人と同じ自己中な生き方をしてはならない。 彼らの考え方に価値はない。


みんなのために祈れば喜びでいっぱいになる。


教会の家族に手を出すことが断固あってはならない。 そんな恐ろしいことをすれば、前に警告したとおり、神の鉄槌が下る。


ところが、聞くところによると、教会の中には、働くのを拒み、一日中おせっかいをやきながら邪魔ばかりしている人がいるらしいな。


この罰は、生まれながらの性である我欲に任せて生きる人間や、神から権力をもらった指導者を嫌う人たちにある。 えせクリスチャンは、いい顔をするが、考えは自己中で自分を偉いと思っている。さらには馬鹿げたことや、悪い事もしてくるが、神の霊の力はそれよりはるかに強いのだ。


連中が残すものと言ったら、海岸に打ち寄せる荒波が残す汚い泡のような恥と汚名だけ。 一見、夜空に輝く星のように見えるが、宇宙でもとことん暗い闇に閉じ込められている。


私たちに従ってください:

広告


広告