Biblia Todo Logo
オンライン聖書

- 広告 -




ピリピ人への手紙 3:12 - ALIVEバイブル: 新約聖書

12 なにも、自分が完全な人間になったと言っているわけではない。 これは一生の課題だ。イエス・救世主が私を救ったのも、一生をかけて彼を目指してほしいからだ。

この章を参照 コピー

Colloquial Japanese (1955)

12 わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。

この章を参照 コピー

リビングバイブル

12 なにも、自分が完全な人間だと主張するつもりはありません。学ぶべきことも、まだたくさん残っています。ただ、キリストが何のために私を救ってくださったかを知り、自分に与えられている目標に到達する日を目指して、努力しているのです。

この章を参照 コピー

Japanese: 聖書 口語訳

12 わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。

この章を参照 コピー

Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

12 わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。

この章を参照 コピー

ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

12 決して私が完全に神の望まれる人間になったと言っているわけではない。私はまだゴールに達していないのだ。これは一生の課題だ。しかし、私は常にそこにたどり着こうと進み続け、それを自分のものとしようと励んでいる。これこそイエス・キリストが私にしてほしいことであり、だからこそイエスは自分のものとし私を選んだのだ。

この章を参照 コピー




ピリピ人への手紙 3:12
44 相互参照  

愛する友よ。 私たちは、このようにすばらしい約束を与えられているのだから、肉体と魂を汚すいっさいの過ちときっぱり縁を切り、純白な生活を送るべきだ。 神を敬えば、敬うほど、神に捧げきった人生を歩みたいと思うものだ。


私の願いは、神がイエス・救世主をとおし、私たちのうちに働きかけ、神の想いを全うすること。 栄光は永遠に神のものなり。


神は、この世界を造る前から、救世主に属す私たちを、自分のものとして選んでくれていた。 私たちを愛しているがゆえに、私たちを神の前で潔白として選んでくれた。


まだそこへ到達していなくても、受けとっている真理を歩み続けるのだ!


むしろ、王なるイエス・救世主との関係を築き上げていくのだ! すべての栄光と輝かしい名誉は、今も、後も、とこしえにイエスのもの。 ペテロより


誰でも多くの過ちを犯すが、舌を思いどおりコントロールできれば、体も完全に制することができる。


常にピースメーカーとなり、過ちから距離を置くのだ。 意図的に過ちを犯す人は神様に会うことができない。


私たちの生まれながらの性質は、神の霊が命じることとは正反対なことを好むんだ。 一方、神の霊の導きのままに歩んでいる時に行ないたくなる善は、生まれながらの願望とは正反対のものなのだ。 内面のこの2つの力は、どちらも私たちを思いどおりに動かそうと、いつも格闘している。 そして私たちは、この2つの力の板ばさみになって、したいと思うことが自由にできない状態なのだ。


救世主を通して、あふれるほど恵みを注いでくれる神は、あなたがたに、しばらくの苦しみをくぐらせたあとで、永遠の栄光を与えてくれる。 神がじきじきにあなたを鍛え上げ、不動なものにしてくれる。


しかし、イエス様に愛されているみんなは違う。だからこそ神に感謝せずにいられない! 神があなたがたのほとんどを初めに救おうと選んでくれたのだから当然だ! イエスについての真理を信じ、神の霊の働きで神の民となったのだから。


なぜこのように、最善を尽くせる能力がそれぞれに与えられたのだろうか。 それは、神の民となった人たちが、神のためにより良く働けるよう整え、救世主の体である教会を、完成した状態へと建て上げるためである。


自分は弱くて軽べつされても、みんながほんとうに強くなってくれれば、うれしいのだ。 最大の願いと祈りは、みんなが一人前のイエスの信者になってくれることだ。


しかし、完全なものが来れば、不完全なものは絶えてしまう。


悪に悪でお返しすることが断じてないように。 むしろ、互いに、またどんな人にも、善を示すように。


そうすれば自分のために、永遠の宝を天に蓄えることになる。 これこそ、未来に備える、ただ1つの絶対であり、安全な投資。 彼らはこれからやって来る時代で永遠の人生を手にすることができるのだ。


「――行くのだ!俺は重要な使命を果たすのに、サウロを選んだ。彼は他の国々、そこの支配者、王たち、そして迫害をしたユダヤ人やイスラエル国民、さらに遠い首都ローマの地までも、俺のことを伝えさせる。


彼女は良い人としての評判がなければならない。 子どもをりっぱに育て上げたか。 イエスの信者の旅人を親切にもてなしたか。 その疲れた足を洗ってあげたか。 病人や困っている人に助けの手を差し伸べたか。 すなわち、人生を人のためにささげているか。


またあなたがたは、天に登録されている人たちの教会、すべてをさばく神、すでに完全なものとされて天にいる、救われた者たちの魂に近づいているのだ。


いいか、俺は完璧である天の父を見習えって言ってんだ!!!」


あるいは、私たちがどこにいようと、たとえ空高くのぼっても、地の果てまで行こうとも、私たちの王なるイエス・救世主によってはっきり示された神の愛から、私たちを引き離せるものは、何一つないのだ。


競走をする場合、すべての走者が走るが、優勝者は1人だけだ。だからこそ、みなさんも、優勝するように走るんだ。


同じように、今の私たちの神に対する知識や理解は、そまつな鏡にぼんやり映る姿のようなものだが、やがては、面と向かって、神の完全な姿を見るのだ。 今は、神の一部分しか知らないが、その時になれば、私のことを完全に把握している神のように、すべてがはっきりする。


イエス・救世主の奴隷であるパウロと混血のテモテから、ピリピ教会の牧師とスタッフ、およびイエスの信者の皆さんへ。


生まれや育ち、資格や経験など自分の力は、救いのあてにはならない。 神の霊を通して神を讃える私たちこそが救われた神の子! いいか、イエスの信者が誇れることは、イエスの仲間であること以外ない。


そう、我が王であるイエス・救世主と関係を築く最高な特権と比べれば、他のものはみな色あせる。 私はイエスのためにすべてを捨てた。 それは、イエス以外のスタンダードがごみ同然だからだ。 今では、私にとって価値があるのは救世主のみ。


私たちに従ってください:

広告


広告