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コロサイ人への手紙 2:11 - ALIVEバイブル: 新約聖書

11 イエスに属せたのは、人の手による割礼という名の手術ではなく、イエスの死という名の手術によってなのである。

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Colloquial Japanese (1955)

11 あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである。

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リビングバイブル

11 あなたがたがクリスチャンになった時、キリストはあなたがたを、罪に支配された古い性質から解放してくださいました。それは、割礼という肉体の手術によってではなく、心のバプテスマ(洗礼)という霊的な手術によってなされたことです。

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Japanese: 聖書 口語訳

11 あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

11 あなたがたはキリストにおいて、手によらない割礼、つまり肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け、

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

11 あなた達がイエスに繋がった時、あなた達は違った割礼を受けたのだ。それは人間の手で行われた手法ではない。それはイエスの死によって行われた割礼なのだ。肉の体の性質が取り除かれるそのような割礼だ。——【割礼とは、包茎手術のことで男性性器の皮の一部を切り取ること】

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聖書 口語訳

11 あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである。

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コロサイ人への手紙 2:11
22 相互参照  

「我々はこの人が、『私は人の手で造られたこの神殿を壊し、3日目に人の手を一切借りることなく、別の神殿を建てる』と言ったのを確かに聞きました!」 彼らは、イエスの名前を伏せて言った。名前を言うことさえ、しゃくにさわるからだ。


8日後―― しきたり通り割礼をしたその赤子は、マリヤが身ごもる前に天使が示したとおり“イエス”と命名されたのであった。 この時は誰も、この子が天地を統べる王であるとは知るよしもない。


“神”はこの世界、この地にある全てを創造した。天地の王であり、人間の手によって作られた宮には住んではいない。


だが、人間の手によってつくられた神殿など、すべての上に立つ神には必要なかった。それは預言者が書き記したとおり。


真のユダヤ人は、外見ではなく神に心を認められた者だ。 体の割礼を受けて肉体の一部を切り取った人ではなく、 心の割礼で心から闇を切り取られた人。 それは、掟に従うことによってなされるのではなく、神の霊によってなされるのだ。 そう、神の霊によって改心され、人生を一変した人こそ、たとえ人に讃えられなくとも、神が讃えてくれるのだ!


私たちの古い邪悪な欲望は、イエスといっしょに十字架につけられた。過ちを愛する部分は、致命傷を負った。 それは、過ちを愛する体が、もはや過ちの支配を受けず、今後一切、過ちの奴隷にならないためだ。


ああ、私はなんとみじめで哀れな人間だろう。いったいだれが、この奴隷状態から解放してくれるのだろうか。


私たちがいま住んでいる、天幕の家が取りこわされる、つまり、私たちが死んでこの肉体を離れると、天にある新しい体、永遠に保証された家が贈呈される。 それは、人の手ではなく、神の手でつくられた家だ。


だれでも、イエスの信者になると、神によってその世界が新しくされる。今までの世界観はなくなり、新しいものを得る。


もはや、私の中にあった我心が死に、救世主に与えられた心が生き生きしているのだ。 私の心が生きているのはただ、忠実な神の一人子が私を愛し、身を捧げてくれたおかげだ。


イエス・救世主に属す者は、生まれながらの悪い欲望を十字架にかけたのだ。


あなたは古い自分を捨てるようにと教わった。以前のような自分中心の生き方をやめるということだ。昔の自分は悪くなる一方だった。人は自己中な欲望にあざむかれるからだ。


生まれや育ち、資格や経験など自分の力は、救いのあてにはならない。 神の霊を通して神を讃える私たちこそが救われた神の子! いいか、イエスの信者が誇れることは、イエスの仲間であること以外ない。


間違った生き方に終止符を打つんだ。自身の中にある、この世のものを絶つんだ!性的な罪、わいせつ、欲望に心を奪われたり、この世のものに依存したり・・・自分、自分、自分のためにあらゆるものを求めることは、偶像礼拝同然だ!


救世主は、すでに格段にすぐれた制度の大祭司としてやって来た。 そしておかげで私たちは、その最高な道を歩めているのだ。 そして、人間やこの世の手でできた不完全な幕屋ではなく、天にある、究極で完璧な幕屋に入った。


救世主は天をかたどった地上の神殿ではなく、天にある究極の神殿に入った。 今では、神のそばで私たちを助けてくれているのだ。


私たちに従ってください:

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