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コリント人への第二の手紙 5:1 - ALIVEバイブル: 新約聖書

1 私たちがいま住んでいる、天幕の家が取りこわされる、つまり、私たちが死んでこの肉体を離れると、天にある新しい体、永遠に保証された家が贈呈される。 それは、人の手ではなく、神の手でつくられた家だ。

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Colloquial Japanese (1955)

1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。

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リビングバイブル

1 私たちがいま住んでいる地上の家が取りこわされても〔すなわち、私たちが死んでこの肉体を離れても〕、天には新しい体、永遠に保証された家があります。それは、人の手ではなく、神の手でつくられた家です。

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Japanese: 聖書 口語訳

1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

1 わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

1 私たちは知っている。私たちの体、すなわちこの地上で住むテントは、いずれ解体されることを。しかし、私たちには神からの建物がある。それは人の手によって作られた家ではなく、天国で永遠に立ち続ける家だ。

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聖書 口語訳

1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。

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コリント人への第二の手紙 5:1
25 相互参照  

「我々はこの人が、『私は人の手で造られたこの神殿を壊し、3日目に人の手を一切借りることなく、別の神殿を建てる』と言ったのを確かに聞きました!」 彼らは、イエスの名前を伏せて言った。名前を言うことさえ、しゃくにさわるからだ。


だが、人間の手によってつくられた神殿など、すべての上に立つ神には必要なかった。それは預言者が書き記したとおり。


私たちは神の協力者にすぎない。みなさんは、私たちの畑ではなく、神の畑だ。私たちの建物ではなく、神の建物なのだ。


しかし、いま私たちのうちに輝いている光と力であるすばらしい財宝は、こわれやすい器である私たちの弱い体の中にある。 それはこの財宝が、あからさまに弱い人間のものではなく、神のものだと分かるようにするためだ。


この地上の体のために、嘆きやうめきがあるが、だからといって、死んで、体のない状態になりたいとは思わない。 その新しい体にもぐり込みたいと願うばかり。 そうすれば、この死ぬべき体が、言わば、永遠のいのちに呑み込まれてしまうからだ。


イエスに属せたのは、人の手による割礼という名の手術ではなく、イエスの死という名の手術によってなのである。


そして、その任務が与えられたが故に、私はいま獄中で苦しんでいるのだ。 しかし、それを少しも恥とは思わない。 なぜなら、自分がだれを頼りにしているのかをよく知り、またその方は、任せたものをすべて、再び戻るその日まで安全に守ってくれると確信しているからだ。


アブラハムがこうした生活に耐えられたのは、揺るがぬ土台を基盤とした天の都に、神は必ず連れて行ってくれると確信して、待ち望んでいたからである。その天の都を設計し、建設したのは、神ご自身にほかならない。


救世主は、すでに格段にすぐれた制度の大祭司としてやって来た。 そしておかげで私たちは、その最高な道を歩めているのだ。 そして、人間やこの世の手でできた不完全な幕屋ではなく、天にある、究極で完璧な幕屋に入った。


救世主は天をかたどった地上の神殿ではなく、天にある究極の神殿に入った。 今では、神のそばで私たちを助けてくれているのだ。


後は神が子に約束した天の宝を待つのみ。その宝は色あせず、腐らず、壊れず、輝きを失うことはない。


このように、私たちの周囲のものいっさいが、破壊されなくなる運命にあるのだ。 そうであれば、私たちはどれほど神を讃え、その心を受け継いだ生活を送らなければならないことだろうか。


互いを兄弟、姉妹として愛し合っているなら、魂が死界から生界へ、生き返った証拠だ。愛し合えない人の魂は、残念ながらまだ死んでいる。


行動に出て初めて神の真理に従っていることが分かる。そして、良心に恥じずに神の前に立てるのだ。


愛する友よ、私たちはすでに神の子だ。我々は将来どのようになるかは知らないが、救世主が戻る時、私たちが救世主のようになることだけは知っている!ありのままのイエスを目の当たりにするのだ!


私たちに従ってください:

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