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コリント人への第一の手紙 8:1 - ALIVEバイブル: 新約聖書

1 次に、「偶像に供えられた物を食べることはどうか」、という質問に答えよう。 この件に関して、みなさんは既に知識を持っていることはよく分かっている。 しかし、この知識は人を高慢に導くだけで、教会を建て上げるためにほんとうに必要なのは、愛なのだ。

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Colloquial Japanese (1955)

1 偶像への供え物について答えると、「わたしたちはみな知識を持っている」ことは、わかっている。しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。

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リビングバイブル

1 次に、偶像に供えられた物を食べることはどうか、という質問に答えましょう。この件については、だれもが自分の判断は正しいと思っています。しかし、自分の知識がどんなに重要に思えても、教会を建て上げるためにほんとうに必要なのは愛です。

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Japanese: 聖書 口語訳

1 偶像への供え物について答えると、「わたしたちはみな知識を持っている」ことは、わかっている。しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

1 偶像に供えられた肉について言えば、「我々は皆、知識を持っている」ということは確かです。ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

1 次に、偶像へ生贄として捧げられた肉についてだが・・・あなた達が「そんなことは分かっている」と言うように、確かに私たちには知識があるかもしれない。だが、知っているだけでは、中身のないプライドが膨れ上がるだけだ。教会を強く建て上げるのは愛なんだ。

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コリント人への第一の手紙 8:1
35 相互参照  

けれども、イエスの信者の中には、このことがわかっていない人もいる。そういう人は、これまでずっと偶像を生きているもののように考えてきたので、供えられた肉を食べることで偶像を拝むことになると思ってしまう。 そのため、正しいかどうか分からない中でそれを食べる時、彼らの良心が痛んでしまうのだ。


肉を食べてもよいと思っている人は、食べようとしない人を見下してはいけない。 また、食べようとしない人は、食べる人をとがめてはいけない。 神はそのどちらをも受け入れ、自分の子どもとしてくれたからだ。


しかしなお、2、3非難すべき点がある。 教会の中で、バラムの教えのような理屈に従う者を、見過ごしにしているではないか。バラムは昔、バラクに入れ知恵し、その悪い影響で神の国民を過ちに導いた。性的な過ちから偶像礼拝まで。


では、先ほどの問題はどうなるだろうか。 偶像に供えた肉を食べてもよいのだろうか。 みなさんと同じく、偶像は物でしかなく、ただ1人の神以外にいないことを私たちも知っている。


もし自分はすべての知識を持っていると思うなら、本当に必要な知識はまだ備わっていないという証拠だ。


我が教会よ。 みなさんが善意に満ち、必要なことはわきまえていると知っている。 だからこそ、助言し合って、解決に導けないほうがおかしい。


このイエスの指揮下で、体全体がみごとに組み合わされ、各器官はそれぞれ特別な方法で他を助ける。それは、体全体が健康になり、成長して、愛にあふれるためである。


目を覚ませ!過ちから足を洗え!恥をかかせるためにあえて言おう! あなたがたの教会には、分かってるようにみせて、神について何も分かっちゃいない人がちらほらいる。


―偶像に供えたものを食べない ―絞め殺された動物の肉を食べない ―血のある状態で肉を食べない ―結婚した異性以外とセックスをしない 以上、4点を避ければ、よし。 それでは、よろしくお願いします。 ――おしまい――


しかし、もしだれか、「この肉は偶像に供えられたものだ」と言う人がいたら、その人のために、またその人の良心を傷つけないために、出された肉を食べるのはよしなさい。


外国人のイエスの信者については、われわれの決断を記した手紙をすでに送ってあるから心配はいらん。 ―偶像に捧げられたものを食べない ―絞め殺された動物の肉や ―血が残ったどんな類の肉も食べない ―結婚した異性以外とセックスをしない」


さてさて、となるとなぜ、“あなた”に外国人イエスの従者の背に、重い負担をかける権利がある?神の判断が間違っていたとでも言いたいのか?我々どころかご先祖様たちでさえその負担を背負いきれなかったというのに・・・


しかしなお、非難すべき点がある。あのイゼベルという女にやりたい放題させているではないか。神のお告げだと言って預言者気取りしているあの女は、性的な過ちや偶像の供え物を食べることなど大した過ちではないと、イエスの信者をそそのかすせいで足を踏み外している人が続出している。


彼らは、「天使と礼拝をした」やら“聖なる幻を見た”など、聖い人間アピールして話を聞いてもらおうとするが、そんな意味のないことを言う人に耳を貸さないように。人間ごときの経験に基づいて、まるで神であるかのように語るうぬぼれ屋だからだ。


教会のみんな。 こんな道理がわからないような子どもであってはいけない。 悪事をたくらむことにかけては、無邪気な赤ん坊でありなさい。 しかし、こうしたことを理解する点では、知恵のある大人になるのだ。


誇らしげなみなさんが、こんな事件に目をつぶっているのは良くない。 「少しのイーストがすべてのパン生地を膨らませる」ということわざを知らないのか―― 【つまり、過ちを犯す人を対処しないのなら、それは教会すべてに悪い影響を及ぼすという意味】


とっても残念で悲しいことだというのに、なぜ誇らしげな顔をしている! なぜその人を教会から追放しなかったのか!


中には、「パウロは二度とこちらへ来ない」と、思い上がっている人たちがいるそうだな。


私たちは救世主にあって愚かな者よ。 しかしあなたたちは、自分が救世主にあって賢い者だ。 私たちは弱くて、あなたがたは強いのだ。人受けのよいみなさんと違って、私たちは笑いものにされている。


イエスをとおして神は、みなさんの全生活を豊かに恵んでくれた。 その中でもみなさんはコミュニケーション力や知識において特に恵まれた。


あなたには、自分のしていることは、たとえ神の目から見ても潔白だ、とわかっているかもしれない。 このような場合、正しいと思うことをして、しかも、罪悪感を感じずにすむのが一番だ。


私には、偶像に供えた肉を食べることが悪くないと王・イエスが悟してくれた。 しかし、それを悪いと信じているなら、やるべきではない。


であればなぜ、救世主の兄弟姉妹を批判する? また、なぜ自分は他より勝っていると思うのか? どうせ誰もが神自身に裁かれるのだから、批判するのはやめなさい。


互いに心を一つにし、楽しく働きなさい。お高くとまってはいけない。 偉い人に取り入ろうとせず、かえって、平凡な普通の人と喜んで交際しなさい。 何でも知っているなどと、思い上がってはいけない。


教会のみんな。 この神の真理を知ってもらいたいのだ。 そうすれば、高ぶったり、自慢したりすることもないだろう。 今のところ、ユダヤ人のほとんどが最高の知らせに反対している。 しかし、時間の問題だ。十分な数の外国人が救われ、神のもとに来たときに変わるのだ。


だからできるだけのことをして、互いの仲を保とうではないか! 互いの神との信頼関係が強く築かれるように助けあおうではないか!


教会のみなさん。 これまで私は、アポロと自分を例にあげて説明してきた。 それは、「示した見本をそのまま真似る」ということを私たちから学んでほしいからだ。 そうすれば、どの教師が勝っているかなどと論じあうことはない。


あなたがたは頭がいいのだから、私の言うことが正しいかどうか、自分で判断するのだ。


私たちに従ってください:

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