死が全人類を飼い慣らしています。 異なる世界に目覚めたその朝、 邪悪な者たちは正しい人々の奴隷となるのです。 死んでしまえば、 金の力により頼むことはできなくなります。 金を持って死ぬことはできないのですから。
どちらも、同じちりの中に埋められ、 同じようにうじ虫の餌食になる。
私を殺すつもりだということがわかります。
か細いいのちの火は吹き消され、 なすすべもなく死ぬだけだ。
主の怒りはつかの間ですが、 その恵みは生きる限り続きます。 たとえ、夜通し泣き明かすことがあっても、 朝には喜びが訪れます。
ひとたびあなたから罪を罰せられれば、 だれでも倒れてしまいます。 人は、虫に食われた衣類のようにもろく、 霧のようにはかないものですから。
まるでほふられる羊のように、あなたは私たちを扱い、 国中に散らされました。
神は、私たちの下に国々を置いて治め、
悪者は地獄へ送り込まれます。 これが、主を忘れた民の定めです。
やがて、ちりは元の地に帰り、たましいは、これを授けた神のもとに帰ります。
私の心をご存じである主よ。 あなたは私がどんなにあなたを慕っているか、ご存じです。 神よ、どうか彼らを、哀れな羊のように、 ほふり場に引いて行ってください。 ああ神よ、彼らをさばいてください。
だが最後には、いと高き神の民が、代々限りなく世界を治めるようになる。』
しかしその勝利も、永遠の神が来て法廷を開き、神の民の正しさを立証して、彼らに全世界を治める権威をお与えになるまでのことでした。
ああ、主を知りたい。 さらに主を求めよう。 そうすれば、必ず夜明けが訪れ、 早春の雨期がくるように、必ず答えてくださる。』
その時あなたがたは、灰を踏みつけるように、 悪者どもを踏みつける。」 全能の主は語ります。
御国でわたしの食卓に着き、共に食事をする特権、また王座に座って、イスラエルの十二の部族をさばく特権です。
聖書にこう書いてあるとおりです。 「神のためには、いつでも 死ねる心がまえでいなければならない。 私たちは殺されるのを待つ羊のようだ。」(詩篇44・22)
いつか、私たちクリスチャンがこの世をさばき、支配する日が来ることを知らないのですか。この世こそあなたがたにさばかれる運命にあるのに、どうしてあなたがたは、内輪のそんなささいな事件さえ解決できないのですか。