主を拝む人々は、その名を誇り、喜びなさい。
どうか、この思いが神に喜ばれますように。 私にとって、主は喜びの泉なのです。
主の温かいご配慮のすべてを誇ります。 失意の中にある人々は気を取り直しなさい。
主よ。主のあわれみを知る者はみな、 助けていただけることを期待しています。 主はいまだかつて、ご自身に頼る者を お見捨てになったことがないからです。
わたしは、わたしを愛する人を愛するから、 熱心に探せば必ずわたしを見いだす。
わたしは人々の見ている前で大胆な約束を伝えた。 暗がりでひそひそと、 何を言ったかわからないような言い方はしない。 イスラエルに、むなしい約束はしない。 わたしは、真実で正しいことだけを口にする。
イスラエルの子孫は主にあって正しい者と認められ、 勝ち誇ります。
主は、ご自分を待ち望む者、ご自分を求める者を いつくしみます。
ですから、どこのだれであっても、神の前で誇ることはできません。
聖書の、「だれでも誇ろうとする者は、主のなさったことだけを誇れ」(エレミヤ9・23-24)ということばどおりになるためです。
しかし私は、主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものなど何もありません。十字架によって、私は、この世のものすべてに対して興味を失ってしまいました。この世も、私に対する興味をすっかり失ってしまったのです。