それでもなお、民は高台の祭壇にいけにえをささげましたが、それは主に供えられたものでした。
彼は父アサにならって、すべての面で主に従いました。ただし、丘の上の礼拝所だけは取り除かなかったので、人々は相変わらず、そこでいけにえをささげ、香をたき続けました。
ただ、先王にならって高台の礼拝所は取り除かず、民はなおも、そこでいけにえをささげたり、香をたいたりしていました。
イスラエル全土から完全に偶像の宮が取り除かれたわけではありませんが、ユダとベニヤミンの地においては、アサ王の心は、生涯を通じて神の前に完全だったといえます。
しかし、高台にある偶像の宮を取り壊すことだけはしなかったので、人々に、父祖の神に従うことを決心させるまでには至りませんでした。
そもそも、すべての偶像を壊し、ユダとエルサレムの人々に、神殿にある祭壇の上でだけ香をたけと命じた張本人はヒゼキヤである。
マナセ王のその他の業績、王が神にささげた祈り、預言者たちを通しての神の答えについては、『イスラエル諸王の年代記』に記されています。