イスラエルの子ヨセフの子孫のマナセ族は、次の町々と周辺の地域を支配していました。ベテ・シェアン、タナク、メギド、ドル。
ソロモン王は労働者を集めて、神殿と宮殿のほかにも、ミロの要塞、エルサレムの城壁、ハツォルとメギドとゲゼルの町々を造りました。
そのころ、エジプトの王ネコが、アッシリヤの王のもとに行こうとユーフラテス川に向かっていました。ヨシヤはネコを迎え撃つために出陣しましたが、メギドで彼に見つかり、殺されました。
その間に、ユダ王のアハズヤはベテ・ハガンの道へ逃げました。エフーはアハズヤを追いかけ、「やつも討ち取れ」と家来に命じました。エフーの軍勢は、イブレアムに近いグルの坂道で、戦車に乗ったアハズヤに矢を射かけ、重傷を負わせました。王はやっとの思いでメギドまで逃げ延びたものの、そこでついに事切れました。
それでもヨシヤは引き返そうとせず、王服を脱ぎ、敵に気づかれないように変装をしたうえ、軍を率いて戦場となるメギドの谷へ向かいました。彼は、ネコ王の言ったことが神から出ていることを信じようとしなかったのです。
その時のエルサレムでの悲しみと嘆きは、神を敬うヨシヤ王がメギドの谷で殺された時の嘆きよりも深い。
こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる場所の近くに、世界の全軍隊を結集させました。
カナンの諸王はメギドの泉のほとりタナクで抗戦したが、 勝利は得られなかった。
サウル王の武具はアシュタロテの神殿に奉納され、しかばねはベテ・シャンの城壁にさらされました。