神のすることに対して、 ばかげているとか、悪質だと言える者はいない。
とはいえ、だれが、さばき主である神に異議を申し立てることができようか。
理解力のある皆さん、私の言うことを聞いてほしい。 神が罪を犯さないことぐらい 子どもだって知っている。
神は絶対に悪を行わず、 正義を曲げないということほど 確かなことがあるだろうか。
おまえは自分の正しさを主張しようとして、 わたしのさばきを信用せず、 わたしを罪人呼ばわりするのか。
神が正義を曲げるだろうか。
いったいだれが、主のお心を知ることができますか。だれが、主のご計画の相談に加わるほどの知識を持っていますか。
ところが、どうでしょう。あなたは耳を貸そうともしません。強情をはり、罪から離れようとしません。こうして、神の御怒りをどんどん積み上げているのです。神が裁判官として立ち、すべての人を正しくさばかれる、御怒りの日が近づいているのです。
ところが、こんなふうに主張する人がいます。「でも、私たちの神に対する不忠実は、むしろよかったのではないか。人々は、私たちがどんなに悪い人間であるかを見て、神がどんなに正しい方であるかに気づくだろうから。」すると、彼らの罪が神の役に立っているのに、罰せられるのは不公平だということになるのでしょうか。
では、神は不公平なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。
いったい、どうすれば彼らに聖霊がわかるというのでしょう。彼らは、主の思いを知ったこともなく、それを主と論じ合ったこともなく、また、祈りによって神の御手を動かしたこともないのです。しかし驚くべきことに、私たちクリスチャンは、まさにキリストの思いと心を共有しているのです。
そればかりでなく、神のご計画のままに、神のものとなるように最初から選ばれていた私たちは、神が喜んでくださる存在となっています。
岩のように堅く、なさることはみな完全で正しく、 何事にも公平で忠実な方。 主はいつも潔白な方。