私は曲がったことの嫌いな裁判官として、 生活苦にあえぐ貧しい人や、 身寄りのない子どもたちを助けてきた。
生活に困っている者は押しのけられ、 すごすごと引き下がる。
悪者は貧しい人に金や穀物を貸す前に、 父のない子を母親の乳房から奪い取り、 その赤ん坊をまず担保として取る。
私は、困っている人のために涙を流した。 貧しい人を見て、心から同情した。
腹をすかせた孤児に、 食べ物を恵まなかったことがあるだろうか。
いつも、孤児を引き取って親身に世話をし、 わが子同様に育てたではないか。
だれにも責められないからといって、 孤児の弱みにつけこんだことがあるだろうか。
貧しい者の叫びが神の耳に届いたからだ。 神は虐待される者の叫びを聞く。
きよいお方である神は、 父親のいない子の父となり、 未亡人の訴えを公正に取り扱ってくださいます。
彼は、身寄りのない者や貧しい者を援護します。
人々は、私のいのちは尽きかけていて、 手の施しようもないと言います。
貧しい人を助けない者は、 自分が困ったときにも助けてもらえません。
だれからも見放された人を守ってあげなさい。
彼は、貧しい人や困っている人に 正義と援助の手が差し伸べられるようにした。 それで、何もかもうまくいったのだ。 このような人こそ、神のそば近くにいることができる。
孤児や未亡人のために正しい裁判をし、外国人をも差別せず、食べ物や衣服をお与えになります。
父なる神の目から見て、純粋で汚れのない信仰とは、みなしごや未亡人が困っていれば世話をし、この世から自分をきよく守ることです。