「心配することはない。父には君を見つけ出せるわけがないから。君こそイスラエルの王になる人だ。私は君の次に立つ者になるだろう。父にも、そのことはよくわかっているはずだ。」
主は私の味方です。 私には、怖いものなどありません。 ただの人間に何の手出しができましょう。
神を恐れる人は頑健で、 子どもたちは安心して、その人に頼ります。
人はたくさんの計画を立てますが、 主の計画だけが成るのです。
この良い知らせで、絶望した人を元気づけ、
怖がっている人を励ましなさい。 「さあ、元気を出しなさい。怖がることはありません。 神が敵を滅ぼしに来ます。 あなたがたを救いに来ます」と伝えなさい。
恐れるな。わたしがついている。 取り乱すな。わたしはあなたの神だ。 わたしはあなたを力づけ、あなたを助け、 勝利の右の手でしっかり支える。
イスラエルよ、たとえ軽蔑されても恐れるな。 わたしは必ずあなたを助ける。 わたしは主、あなたを贖う者だ。 わたしはイスラエルの聖なる神だ。
しかし、やがて来る日には、 あなたに向けられるどんな武器も役に立たなくなり、 法廷でどんなに偽証がなされようと、 あなたは正しいと認められるようになる。 これが、主のしもべの特権であり、 わたしからの祝福だ。」 こう主は語ります。
また、たとえ少数派でも恐れることはありません。神は喜んで、あなたがたを神の国に導いてくださるのです。
ローマに着くと、パウロは、兵士の監視のもとではありましたが、好きな所に住んでもよいことになりました。
しかし、もし神の力によるものだったら、いかなる人といえども阻止はできません。いや、そればかりか、神に敵対することにもなりかねません。」
実は今、スペインでの伝道を計画しています。その途中、ローマに立ち寄るつもりです。そして、わずかな間でも、共に心の満たされた時を過ごしてから、あなたがたに送られて、旅を続けたいと願っています。
ですから、私たちは確信をもって、こう答えることができます。「主は私を助けてくださいます。だから何もこわくありません。人間が、私にどんな手出しができましょう。」(詩篇118・6)
あいつが生きている限り、おまえは王になれないのだぞ。さあ、ダビデを連れ戻して来い。絶対に殺してやる。」
どうか、ここでいっしょに暮らしてください。いのちに代えてもお守りします。あなたに降りかかる危害は、わが身に降りかかったも同然ですから。」
敵を手中に収めながら逃がしてくれる者が、この世にいるだろうか。今日のこの情けに、主が十分報いてくださるように。
これで、よくわかった。おまえは必ず王になる人物だ。イスラエルはおまえが治めるべきなのだ。
さあ、主にかけて誓ってくれ。おまえが王になっても、私の家族を殺さず、家系も絶やさないと。」
ダビデの部下の一人が、「絶好の時です。主が、『わたしはサウルをあなたの手に渡す。思いどおりにせよ』とおっしゃっているではありませんか。今がその時です」とささやきました。そこでダビデは、はうように近づき、王の上着のすそをそっと切り取りました。
主がすばらしい約束をことごとく成し遂げて、あなた様がイスラエルの王に任ぜられた時、ご自分の判断で人を殺したりした過去があってはなりません。主がこれらのみわざを成し遂げられたあかつきには、どうか、この私のことを思い出してください。」