わたしは『正しい人は生きる』と言った。しかし、今まで良いことをしてきたから大目に見てもらえるだろうと罪を犯す人には、以前の正しい行いは何の役にも立たない。わたしは、その罪のゆえに彼を滅ぼす。
だが、正しい人が罪を犯し、ほかの悪者と同じことをするなら、そのような者を生かしておけるだろうか。もちろん、生かしておくわけにはいかない。これまでの正しい行いはすべて忘れられ、その罪のために死ななければならない。
正しい人が正しく生きることをやめて悪を行い、そのまま死ぬなら、それは彼が行った悪のせいだ。
わたしは、父であろうと子であろうと、すべての人を同じようにさばく。それも、自分の犯した罪のために罰せられて死ぬのだ。
もし善良な人が悪を行っているのに、あなたが警告しないなら、わたしは彼を滅ぼす。以前の善行は何の助けにもならない。彼は自分の罪のために死ぬ。だが、わたしは彼の死の責任をあなたに問い、あなたを罰する。
もう一度言う。正しい人でも、悪の道に入るなら、必ず死ぬ。
というのも、彼らには、キリストが自分たちを神の前に正しい者とするために死んでくださったことが、わかっていないからです。そして、自分たちの正しさを認めさせようとして、神の救いの道に従わなかったのです。
もはや、良い人間になろうとか、律法に従って救われようとか考えるのはやめて、ただキリストを信じることによって救われ、キリストと結ばれるためです。神が私たちを正しい者と認めてくださるのは、信仰――ただキリストだけを信じ頼ること――を持っているかどうかで決まるからです。
神の前に義と認められる人たちは、信仰によって生きるのです。しりごみするような人を、神は喜ばれません。
キリストに敵対する者たちは、これまでずっと私たちの教会員のふりをしていましたが、ほんとうの仲間ではなかったのです。そうでなければ、教会にとどまり続けたはずです。彼らが出て行った時、私たちの仲間でなかったことが証明されたのです。