父の死後、アザルヤ王はエラテを再建し、再びユダの領地としました。
彼はエラテの町を建てて、これをユダに復帰させた。これはかの王がその先祖たちと共に眠った後であった。
アマツヤが先祖と共に眠りについた後、彼はエイラトの町を再建して、ユダに復帰させた。
またソロモン王は、エドムの地の、紅海に面したエラテに近いエツヨン・ゲベルに造船所を造り、そこで船団を組みました。
そののちアマツヤの子アザルヤ(ウジヤ)が、十六歳で新しい王となりました。
一方、イスラエルでは、ユダの王アマツヤの第十五年に、ヤロブアム二世が王となりました。ヤロブアムの治世は四十一年間でした。
それでも、レツィン王はエラテの町を取り戻し、ユダの人々を追い出して、シリヤ人を移住させました。今もそのままです。
ウジヤは父アマツヤの死後、エラテの町を再建してユダに復帰させました。
それから王は、フラム王が寄贈した船団の進水式に臨むため、エドムにある海港の町エツヨン・ゲベルとエラテへ行きました。この船団は、ソロモン王の乗組員とともにフラム王の熟練した乗組員を乗せてオフィルに行き、四百五十タラント(十五・三トン)の金を手にし、ソロモン王のもとに持ち帰ったのです。
そこで私たちは、同族のエドム人が住むセイルをあとにし、南のエラテ、エツヨン・ゲベルに至るアラバ街道を横切って北へ向かい、モアブの荒野へと旅を続けました。