テモテヘの第二の手紙 1:12 - ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書) そして今、私はこの使命を全うしているからこそ苦しみを受けているのだ。しかし、私には恥がない。なぜなら私は自分が信頼を置いている方を知っているからだ。そして、その方を信頼できるようにと私のことをその日までずっと守っていてくれるからだ。 ALIVEバイブル: 新約聖書 そして、その任務が与えられたが故に、私はいま獄中で苦しんでいるのだ。 しかし、それを少しも恥とは思わない。 なぜなら、自分がだれを頼りにしているのかをよく知り、またその方は、任せたものをすべて、再び戻るその日まで安全に守ってくれると確信しているからだ。 Colloquial Japanese (1955) そのためにまた、わたしはこのような苦しみを受けているが、それを恥としない。なぜなら、わたしは自分の信じてきたかたを知っており、またそのかたは、わたしにゆだねられているものを、かの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである。 リビングバイブル そのために、私はいま獄中で苦しんでいます。しかし、それを恥とは思いません。なぜなら、私は自分が信頼している方をよく知っており、またその方は、私がお任せしたものをみな、再び来られるその日まで安全に守ってくださると確信しているからです。 Japanese: 聖書 口語訳 そのためにまた、わたしはこのような苦しみを受けているが、それを恥としない。なぜなら、わたしは自分の信じてきたかたを知っており、またそのかたは、わたしにゆだねられているものを、かの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである。 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 そのために、わたしはこのように苦しみを受けているのですが、それを恥じていません。というのは、わたしは自分が信頼している方を知っており、わたしにゆだねられているものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです。 聖書 口語訳 そのためにまた、わたしはこのような苦しみを受けているが、それを恥としない。なぜなら、わたしは自分の信じてきたかたを知っており、またそのかたは、わたしにゆだねられているものを、かの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである。 |
わたしを遣わしたのはお父さんであり、わたしのもとへ人を引き寄せるのもまたお父さんです。わたしはそんな人たちをこの世が終わる日に、一人残らず生き返らせる!だが、お父さんに引き寄せられずにわたしのもとへ来ることはできない。
しかし、パウロとバルナバはそこにいる人たちに向かって大胆に語った。彼らはこう言った。「私たちはまず、あなた達に神のメッセージを伝えなければならなかったが、あなた達は聞くことを拒んだ。あなた達は、自分たちが永遠のいのちを持つのにふさわしくない人々であると、自分たちでそれを明らかにしたのだ。だから私たちは今、ユダヤ人ではない人たちに教えを伝える。
というのも、私は最高な知らせを伝えることに、ほんの少しの恥も抱いていないからだ。ほんの少しもだ!なぜなら、そこには力が宿っている。信じる全ての人たちを救ってくれる神の力だ!最初、この知らせはユダヤ人だけのものであった。しかし今は違う!ユダヤ人だけではなく、ユダヤ人以外の全ての人のためにもある。
聖書でこの石についてこう記されている。 「見よ!わたしはシオンの丘に1つのつまずきの石を置く。 その石よって多くの者たちがつまずくだろう。 しかし、この方を信頼する者が後悔することは決してない」——【イザヤ書8:14; 28:16より引用】
私は確信的な期待を持っているのだ。それはどんなことがあろうとも、自分が決して恥じることのない希望だ。私は死ぬまで出来るだけ多くの称賛を救い主に集めたいと思っている。そう!そのために生きるのだ!生死に関わろうが、私は変わらず救い主を大胆に、そして自由に語り続けるのだ!
今ではそれだけではなく、そう!王であるイエス・キリストと関係を築く最高な特権がある。それと比べれば他のものはみな薄っぺらく見えるのだ。私はイエスのために全てを捨てた。全てのものが価値を生み出さなくなったのだ。そして私にとって価値があるものは、救い主のみということになった。
ユダヤ人ではない人々が救われる方法を伝えようとする私たちの働きを、彼らのようなユダヤ人は妨害し、しかも、そうした彼らこそ過ちをどんどん犯し続けるようになっている。そして今、神の怒りが彼らの上に下り、彼らは苦しむこととなるだろう。
テモテよ!神から託された任務を全うしなさい!お前は神からたくさんのものを任されている。だからそれをきちんと守り抜くのだ。神のことばではなく、くだらない話をしている者、お前に知識を用いて口論を仕掛ける者からは離れるのだ。その知識とやらは、まったく知識ではない!
再びイエス・キリストの現れるその日に、オネシポロが王である神からあわれみを受け取ることが出来るようと私は祈っている。港の都エペソで彼がどれだけ私の力になってくれたかはお前がよく知っているだろう。
人前で私たちの王であるイエスのことを伝える時、モジモジする必要なんてない!主人のために牢屋にいる私のことだって恥じることはないのだ!しかし、この最高な知らせのために私と共に苦しんでくれ。神は私たちにそれを乗り越える力すら与えてくれている。
そして、私は今こうしてこの素晴らしいメッセージを伝えている。だから同時に苦しんでいるのだ。しかも今の私は何か悪いことをした人たちの様に鎖で締め付けられ、自由に動けない状態だ。しかし!神のメッセージは決して縛られることがない!
そして今、私のために用意された勝者への褒美が目の前にある。それは私が神に認められていることを象徴する冠だ。完全であり、完璧な裁判官、そして王であるイエスが最後の判決の日に与えてくれるものだ。そう!私だけではなく、イエスの帰りを心から楽しみにしている人全員にそれが与えられるのだ!
この教えは真実であり、どれだけ重要なのかを私はテトス、お前にハッキリと伝えたいんだ。そして人々がこのことを理解すれば、神を信じる人は意識的に自分の人生を社会や人々のために使おうとするだろう。
足を止めることはせず、ひたすらイエスを見るのだ!イエスこそ私たちのリーダー、信仰のリーダーだ!イエスによって私たちの信仰が完全なものとされる!イエスは十字架で苦しみ抜いたが、まるでそれを感じさせないようにその恥を受け止めた。それは十字架上でこれから来る素晴らしい光景を感じ取っていたからこそ、彼は喜んでいたのだ。そして今、イエスは神の右の王座に座っている。
もし今あなたが苦しんでいる理由が、神が望むことをしているということなら、人生を神にゆだねて信頼するべきだ!大丈夫!あなたを創った神以上に信頼できるものはいない。だから正しい事をし続け、進み続けるんだ!